自己肯定感に思う

野球のイチローさんが、自己肯定感について
「気持ち悪い」
と言ってましたね。

これ、分かります。
今日はそんな話です。

私は自己肯定感が低い方だと思ってます。というか、低いです。
「自分は、まだまだだ」と思ってます。

現状を肯定してしまったら、もうおしまいって気がします。
成長がおしまいってことです。

これ、卑屈になるってのとは、ちょっと違います。
謙虚さといえば、そうなのかもしれません。

「どうせダメだ」
じゃなくて
「まだまだだ」
です。

自分を肯定した上で向上心を持てるなら、それはそれで良いのでしょうけど、そういうタイプではないのです。

ただ、自信は持っていたいと思っています。
これは、何かができるとか、やったとか、そういうことではなく
「何かが起きるかもしれないけど、自分はきっと(対処するから)大丈夫」
という感じです。

それが果たしてうまくいくかどうかなんて、やってみなけりゃ分かりません。
だからその点について、事前にクヨクヨ悩んでも仕方ないのです。

いくら心配しても未来は良い方には変わりません。
そんな暇があったら、事前に何かしら手を打っておくか、腹を決めておけば良い。
やるだけやって、ダメならしょうがない。

現状の自分は肯定できないけど、未来の自分は信じてる
そんな感じですかね。

やりたいことをやろう

結果が大事やら、過程が大事やらありますが…
まぁ、どっちも大事なわけですよ。

ただ、学生の活動においては、どのようにやるかという過程が大事なのは間違いありません。
ただし、それはどのような結果を求めたときの過程なのか、ということだと思っています。

今回は、その辺について考えてみましょう。

学生に限ったことではありませんし、最近に限ったことではないですが、結果にばかり執着すると、面白くもならないし、なかなかうまくいくことも無いんじゃないかと思っています。

まぁこれ、色々と前提があって、その「結果」、つまり、どういうゴールを設定しているのかというのもあるのですが…

あいまいなゴール設定をしているか、もしくはゴールを設定すらしていない状態で、「できるかどうか」に拘りすぎていると、面白いことにはなりません。

「できるかどうか」に拘ると「できそうなこと」を選択しがちになります。

「できそうなこと」によって行動を決めてしまうということは、過去にやったことがあることとか、できると分かっていることをやるということです。

なので、それをやったところで(自分は)安心はするかもしれませんが、喜びとか驚きとか、「面白い」に繋がりそうなことではありません。当然です。

そして往々にして、それは「やりたいこと」ではなかったりします。
やりたくもないことをやったところで、面白くないので続かないでしょう。
もちろん結果は得られません。

ゴール設定が無かったりすると、「できること」をやることが「やりたいこと」だ!
みたいな、訳の分からない状態になりがちです。

すると、すでに「できる」と分かっている「手段」にとらわれます。
やりたいこと、やるべきことが、いつの間にか「手段」とすり替わっていたりします。

こんな風に、できると分かっている「手段」を用いることがゴールになっていたりする訳ですが、皮肉なことに学校では手段ばかりを教えるので、凄く自然にそういうことをやっちゃうのですよね。

大事なのは、「できるかどうか」じゃなくて「やりたいかどうか」です。

やりたいことをやるのはチャレンジで、チャレンジする過程でこそ学びがあるのです。

チャレンジするための駆動力を発生するエンジンは、あなたのマインドやパッション。
学校の授業で学ぶことは、いわゆる「引き出し」に過ぎません。
「引き出し」をいっぱい集めたところで、前には進みません。

成長には何が必要なのだろう

学生を宿題で一杯いっぱいにしてしまうと、勉強はできるようになるかもしれません。
「かもしれません」というのは、私ならそうはならんかな、と思ったからです。

どうも今の価値観としては、色々知ってることが成長していることだ、という捉え方をしている気がしてならんのですが、そんなことはないでしょうというお話しです。

仮に、宿題をいっぱい出されて、出された課題をひたすらやって、つまり言われたことをやるだけで時間を使い果たしてしまうと何が起きるのでしょうか。

知識としては、そこそこ得られるでしょうけど、それで良いのか?と思います。

というのも、沢山ものごとを知っていると、それはすなわち価値があるということなのか?ということなんですけどね。
これ、以前もネタにしたはずですが。

まぁ、自分がいくらものごとを知っていたところで、それを何かの役に立つようにアウトプットしない限り、それは価値に変換されることはありません。
つまり、自分も他人もハッピーにはならないということです。

日本の子供達は、すごく勉強していると思います。
量的にも、質的にも。
だって、小学生で英語とかやってるんでしょう?

で、どれだけ彼らがハッピーになっているのかってのが凄く疑問なんです。

本当に大事なのは、学んだことを利用してみる経験ではないでしょうか。
頭の中にとどまっていた知識が、何かに利用できると分かった瞬間って楽しいと思うのです。

その経験ができなければ、皆が同じようなことを「知る」レベルに留まって、均質化していくしかないでしょう。

行き着く先は、「知っただけ」でどうなるか分からない不安から逃れるために、安心を求めるために、もっと勉強するのだけど、結局は皆で同じことをやっているわけで、アドバンテージを感じられなくて、不安の連鎖に入っていく…
そんなことになりませんか?

知った!やった!できた!
というのを小刻みにやって、どんどん大きく回していくようなのって、ダイナミックで面白いと思うのですよね。

それを見た者が
「へー。じゃ、オレはこんな風にしちゃおう!」
みたいな連鎖反応があったら面白いですよね。

若い連中には、彼らが自ら進んで何かをやるための機会とか時間とかが、もっと必要なのではないかな。