再起動のカギ その1

何度か言っていますが、基本的に夢工房の活動は、教員である私の命令に従って活動する、というやり方ではありません。
学生は自主的に活動する。これが前提です。

夢工房の場合、現在進行中の全てのアクティビティはコンペティションですから、やはり皆、勝ちたいわけです。じゃないと、やっている意味が無い。

コロナの自粛が終わって、学生達は頑張って、やりたいことをやれば良いのかもしれないけど、チームとしてのゴールは厳然として存在するわけで、そこへは「自分的」にやってみても到達はできなかったわけです。

そして今は希望が叶う状態では無い。
それが現状です。

では、現状からの変化が必要です。
今のままの考え方、やり方では、今のままだから。当たり前です。
原因が変わらなければ、結果は変わりません。

この現状を変えなければならない。

色々と考えられることはあるのだけど、圧倒的に重要なことに気付きました。
これは、コロナの自粛云々もあるのですが、基本的に不足しているというか、組織で成果を出す際はもちろん、彼らが成長する上で圧倒的に重要なことです。

それは、アウトプットのスキルが大幅に低下していることです。
それを含めたコミュニケーションスキルと言っても良いかもしれませんが。

これは思いのほか手強いです。
何せ習慣化してしまっていますから、自分でも気付きにくい。
もちろん、私もそういった学生や状況に慣れてきてしまったので、気付きにくかったというものあります。言い訳じみていますが。

さて、ではそういった状況で一体どのようなことが起きるでしょう。
そして、どうしたら良いのでしょう。
これが今の課題です。

続く

オーストラリア大会の見通しと意義

昨日の記事では、今回のオーストラリアは散々な結果となるといったような内容を書きました。

今までのチームの歴史から考えた理想像と、コロナ禍の自粛によるダメージを受けた現状のギャップがあまりに大きいと感じています。
恐らく、周囲の期待に対するギャップも大きいでしょう。

開発の初期段階でそのシーズンの内容がほぼ決まっていますので、これは今さらどうにもならないこと。
とはいえ、準備も含め、遠征ではベストを尽くすべきです。

学生達にしてみれば、3年に及ぶ何もできない期間によって、本来得られる機会を逃し、自分の意に反した状況に置かれたということで、チームの歴史がどうこう言っていられる状況では無かったでしょう。

この状況に至るには様々な原因があることが分かっていました。それは学生達のみならず、アドバイザーの私にも。

で、今はどういう心境なのかというと…
もう腹が決まっていて、今後に向けて今回の遠征の経験をどう活かすか、といったところに目が向いています。

色々な問題や原因を頭で理解はしていたのですが、どうも腹落ちしていなかったということを自覚してきたのが最近のことです。
頭では分かっているけどできない状況だったと言ったら良いのでしょうか。

今まで色々ありましたが、底を打ってしまえばあとは上がるだけです。
ある意味、我々のコロナ禍がやっと終わったと言って良いのかもしれません。

学生達のモチベーションが高い状態で遠征に望めれば、世界的にもレベルの高いオーストラリア大会で様々な経験をして、価値観のレベルを大幅に上げてくるはずです。
そういう意味では、我々の来シーズンはすでに始まっているということになります。

この状況を支えてくれて、彼らにチャンスを与えてくれている関係者やスポンサーの皆さんには感謝するばかりです。

ところでこの状態、これは恐らく我々だけの問題では無く、かなり広範囲に同様の状態になっているようです。
他チームの学生達も、きっと苦労が多いことでしょう。
彼らも何とか現状を克服してくれることを祈っています。

何でもあれば良いってもんじゃない

かのピーター・ドラッカーの奥さんのドリスが、こんなことを言ったそうです。

「習慣的な暴飲暴食は肥満と怠惰を招く。
同様のことが情報にも起きている。
無思慮な情報の摂取は人を精神的な肥満と怠惰に導く」

ドラッカーの奥さんですから、たぶん50年くらい前に言ったのではないかな。

「肥満と怠惰」って、何か分かる気がするのです。
今は無料でバンバン情報が手に入りますからね。
それによって、よりアクティブになっているかというと、どうもそうでも無い気がする。

もうちょっと手元の話題にフォーカスしてみると、例えば教育です。
学校での教育、塾での教育、SNSを含むネットからの情報…と、大量の情報を日々浴びるようにして生活していたりするわけです。

それらの情報は、「何かのため」つまり何かしらのゴールのためにあるわけですが、果たしてうまく利用されているでしょうか。

昔はネットが無かったので、情報は自分で掴みに行くしかありませんでしたし、今に比べればかなり量も少なかったような気がします。

「気がします」と断言しないのは、苦労して手に入れた、限られた情報に対して、かなり細かいところまでしゃぶりつくしていた気がするからです。
学生時代は、レースやバイク関係の書籍を手に入れるのに、数十キロもバイクで走って買いに行く…なんてやってました。
そして、そうやって得た情報は隅々まで目を通したし、実際に利用することも多くて、その結果、経験として定着する割合が高かった気がするのです。

苦労して手に入れた情報、使わなきゃ損だ!みたいな感じでした。

対して、「労せずして」に限らず、「望まずして」というのもると思うけど、そんな風に手に入った情報は、果たして有効に使えていて、彼らはハッピーなのだろうか?
望むゴールは手に入っているのだろうか?

そんなの聞くだけヤボで、情報の入手性によって、それを利用した結果が左右されたりするのは当然です。
だって、入手性が良いってことは、価値が低いってことでもあるから。

その辺がトレードオフになっちゃってるのでしょうね。