未来予測とその対応 その15

いよいよこのシリーズの最終回です。

・「オープン」で「柔軟性」がないとダメ。
日本は硬すぎで均一的すぎ。工場の労働者を作っているのではないのだから…。

まず「オープン」であること。
これはとても大事。

心が
マインドが
閉じているか否か
そういうことです。

どうも最近は
選択肢を狭めていって
とにかくやることを少なくする
とにかく面倒を無くす

そうやってリスクを避ける
その方が楽だし
変化が無いから安心。

そんな風になっている気がします。

以前からそんな風潮はあったし
学生はそんなもんだとも思いますが
コロナ禍で加速して強化された気もします。

そんな風にしていたら
面白いことなんて起きないのですが
面白いことなんて起きない日々に
慣れてしまったのでしょうか。

動かずに楽しめる娯楽が充実しているし
学校などは、とにかく色々準備して提供する。

それを受け止めるだけで
学んでいる気になれるし
楽しい気分にはなれたりしますしね。

学校や会社など、組織では
不都合とかトラブルとか
そういったものも最小限最低限になるように
すでにセッティングされたものを
提供されるようになっていませんか?

まぁ、それは決して悪いことではないのだろうけど

不都合とかトラブルとか
そういったものに向き合って解決することで
人として成長するのですが

そもそも
そういったものがすでに排除されていたり
避けてばかりいては

工夫とか、問題解決とか
そういった大事な能力を得る機会は
ことごとく奪われてしまっている
という見方もできるでしょう。

そんな環境で
受け止めているだけでは
面白いことを作り出して
発信することはできません。

つまり、価値を作って提供することができない
ということですが
これは「仕事ができない」ということです。

ただ、マインドが閉じていたら
そういったことは見えませんから
気にならないでしょうけどね。

「柔軟性」に関しても同様です。
それはここでも書きましたが。

結局は、用意されたことを受け止めるだけ
つまり、言われたことをやる
という環境が強固に定着してしまった状態では
柔軟性なんて要りませんから。

誤解を恐れずに言うなら
確かに工場の労働者なら
それでも良いのかもしれません。

ただし、旧態依然とした
イケてない工場ですが。

今どきのイケてる工場で働いている人達は
単に言われたことをやる
みたいな仕事はしていないでしょうけどね。

そしてさらに誤解を恐れずに言うなら

恐らく学校の先生をはじめ
多くの人は勘違いしています。

仕事は言われたことをやるものだ
と。

確かにそういう仕事はありますし
どのような仕事でも、そういう側面はあるでしょう。

トップじゃ無ければ業務指示には従うし
お客さんのオーダーにも従う必要はある。

でも、大事なのは
いかに仕事を「自分のもの」にして
情熱を持って、知恵や工夫を入れ込んでいくか。

確かに、単に言われたことをやるのなら
少しでも知識があった方が良いのかもしれません。
言われたことを理解できるようにね。

でも、今はそうではないし
これからは、ますますそうなるでしょう。

知識の面は、AIをはじめ様々なツールで補強できます
というか、ヘタすりゃ代わりにやってくれる。

なので、夢や熱意や行動力など
心が駆動するものを大事にすべき時代に突入している

と思いますよ。

そんなことを考えていると
そりゃぁ、オープンで柔軟でないとどうにもならないだろうなぁ
という気がしませんか?直感的に。