我、事において後悔をせず

江戸時代を生きた剣豪、宮本武蔵が晩年に記した五輪書(ごりんのしょ)にある言葉です。

私は、吉川英治が書いた小説「宮本武蔵」を、大学生時代に当時お世話になった人から借りて…というか、「読め!」と押しつけられて、読んでみたら人生観が変わるほどの感銘を受けて、その後「宮本武蔵 全」という一冊にまとめられた分厚いのを入手して、3回くらい読み直して悦に入っていた思い出があります。

もちろん、小説に登場する武蔵は、行いも人となりも、色々と脚色されているでしょうけど、剣豪として実在した人物であることは確か。
生涯負け無しで、62歳で世を去る2年前に五輪書を執筆しました。
現在も書籍としてそれが読めるというのは凄いことだな、と思うのです。

五輪書は兵法書なので、戦い方に関する内容ですが、何事も物事の本質は似たようなものなので、考え方は現代に適用できます。

さて、「我、事において後悔をせず」ですが、武芸者にとっては死活問題であったはず。
やったことに対して、一々後悔して心を奪われていたら命に関わります。
それに、後悔するかもしれないやり方をするのも同様。

そういった考え方は、物事の重さは異なりますが、現代を生きる我々にも応用が効きます。

やったことを後悔したって、何も良いこと起こらないよ
とか
後悔する暇があったら、その経験を活かして次にどうするか決めろ
みたいな感じです。

大事なことって、昔から大して変わらないのですが、世の価値観が変化していくうちに、埋もれてしまったりするのです。
先人達が命をかけて得たものが、世の中には沢山眠っています。
それを活用しないなんて、もったいないですよね。

絶対うまくいくヤツ

たまに自己啓発本と呼ばれるジャンルの本を読みます。
仕事が仕事なのもありますが
自分を改造できるようで面白いじゃないですか。

こういう本って
内容が参考になるのはもちろんですが
何より「自己を」「啓発する」
という姿勢が大事なのだと思います。

そんなこんなで
「たまに読む」と言う割には
結構な数が手元に溜まっています。

どれもそれぞれもっともなことが書いてあって
役に立つのですが
中でも

これは絶対うまくいくだろう!

と思えるのが、知る人ぞ知る
中村天風
という人の著作です。
自己啓発本の元祖のような人ではないかな。

Wikipediaで来歴を見てもなかなか面白い
というか、ちょっとビックリな内容です。
本の内容もかなり説得力があります。

一応言っておきますが
明治から昭和にかけての人なので
文体が古くて読みにくいかもしれません。
初版が昭和22年とか
そういう本ですので。

私は最初に読んだとき
かなり読みにくくて
なかなか読み進められませんでした。
そのうち慣れちゃいましたけどね。

内容は70年以上前だったりするのですが
今でも何の問題もなく通用します。
人や物事の本質って変わらないんだな
と思います。

でも、こういう内容を受け付けない人もいるでしょうから
誰にでもお勧めできるわけではありませんけどね。

自己啓発本を読むようになったきっかけは
やはり今の仕事です。

学生達のやっていることが
うまくいくようになるといいな
と。

知識やらスキルやらなんてのは
やっていれば身に付くものだと思っていますが

問題は…
「やるかどうか」
「やるまで」
なのですよ。

つまり心の問題なわけで
そんなもの、他人が直接何とかできるもの
ではなかったりするのですけどね。

なので、環境作りという意味も込めて
相手を改造するのではなく
自分を改造しよう
ということになるわけです。

肝心の本の中身の話はしないのかって?
まぁボチボチしていきましょう。

宮本武蔵の五輪書より

剣豪、宮本武蔵が書いた五輪書(ごりんのしょ)
読んだことありますか?
武蔵の書いた書が読めるなんて凄いですよね。
現代語訳になったものが普通に入手できます。

色々と参考になることが書かれていますが
こんな記述が印象に残っています。

「唯一所に止めぬ工夫、是れ皆修行なり」

執着がなく、「道理を得ては、道理をはなれ」という状態
道理にとらわれず、形にはまって形にとらわれない状態
だそうです。
それが難しいのだ
ということですね。

何かを理解したり、できるようになったら
そこから離れて執着しない
ということででしょうけど
それが難しいのだ
というのは理解できます。

心を一所に置くのは自由でなくなるわけで

真剣勝負において
小さな事に執着することは致命的だということでしょう。

こういう考え方は
技術に関わる者にとっては
とても大事だと思います。

仕事をしていると
ついつい小さな事にこだわって、執着して
引き込まれてしまうことがあります。

そうすると全体が見えなくなって
一体何のためにそれをやっているのか分からない状態になりがちです。
手段と目的が入れ替わるのはこんな時です。

が!
問題なのは、それすら気付かずに没入してしまうことがある
これは致命的です。

なぜかというと時間を失ってしまうから。

こんなふうになってくると
「自分に由(よ)る」状態ではありません。
時間に主導権を渡さなければならなくなります。
自由を失っているということですね。

「執着しない」
というのは仏教に通じる
というのも面白いところです。

こういうのは
エンジニアに限らず
仕事をする上で大事だと思います。

やはり道を究めた人の言葉は大事ですね。