世の中そんなにダメとかムダとかないのでは?

言われたことができない
とか

集中力が無い
とか

子供の頃に言われましたか?
私は色々言われましたよ。

幸いなことに
嫌なことは忘れるたちなので
ほとんど覚えてませんけどね。

余計なことをさんざん言ったりやったりして
さぞや面倒な子供だったことでしょう。
先生ごめんなさい。

さて
人は色々と短所や弱点を持っているものですが
多くの場合は
それは何かとのトレードオフが効いてます。

一見、しょうもない特性を持っていても
その裏返しがあったりするものです。

「言われたことができない」
の裏側には
「自分で考えたようにやりたい」
があったり

「集中力が無い」
の裏側には
「色んなことをやりたい」
とか
「もっと広いフィールドを見たい」
なんてことがあったりします。

でも、多くの場合は管理側の希望に合わなければ
そこにフォーカスして
「それは短所である」
ということになります。

中には単にアナーキーな特性を発揮しているだけで
確かにどうしょうもない場合もありますけどね。
そういうのも一時的だったりもしますが。

問題は
「それは短所である」
が管理側の意見だけでなく
本人にも定着しがちだというとこ。

そう言われた本人は
よもや自分の中に
短所の裏側の長所があるなんて
夢にも思っていません。
なので、自分でも伸ばしようがない。

裏側に潜む長所は
外に引っ張り出して
白日の下にさらして利用しないと
長所として認識できません。
自分ですら。

誰かがそれに気付いて
引っ張り出して役立てない限りは
ずっと埋もれたままになるかもしれない。
何ともったいない!

と、こんな考え方は
しょうもない幼少期を過ごした、しょうもない者が
似たような連中にシンパシーを感じてるだけ
…のような気がしなくも無いですが
さにあらず。

一般的に表に出る一般的な長所って正直なところ
戦略的にはあまり強みにならなかったりするなぁ
と思っているのです。

もちろんそういうのは大事ではあるんですよ。
でも、常識的に誰にでも分かりやすい長所って
誰にでも想像付いちゃったり
同じことをできることは結構いたりして
希少性や優位性になりにくくて
武器にならんのです。

でも、皮肉なことに
裏側に潜む長所を引っ張り出そうとしても
本人がそれを長所と認められなくて
拒否することもあります。

「イケるぞ、それ!」
と言っても
「いや、ダメっすよ」
みたいに。

もしくは、ダメだと口に出さないまでも
動けないとか。

これ、何なのでしょうね。
過去に短所を認定してくれた人に対するリスペクト?

まぁ、自分の人生は自分のものなので
好きにしたらいいのですけど
なんかもったいないですね。

見えるようにしよう

「見える化」なんて言いますね。
普通の学生はあまり気にしないかな。

でも、ものづくりをやってる学生達は
結構こういうのを大事にしていると思います。

もちろん、夢工房の学生達にとっても大事なことです。

たぶん普通の学生では理解しにくいと思うのだけど
頭の中で考えていることって
凄く曖昧で
それを整理するとか
構築していくとか
思いのほか難しいのです。

それらを見るようにしてあげると
途端に明確になって
うまくいったりします。

こういうのを

「頭で考えたって紙に書いたって同じでしょ?」

なんて思いがちですが
さにあらず。

頭から出して紙に書き出す
ということは
記憶領域の拡張をしていることにくわえて
掴み所の無いイメージを
見える形まで具体化しているので
ハンドリングしやすくなるのです。

ボヤーッとした掴み所の無いイメージ
つまり見えないものなんて
とてもハンドリングできません。

ものをつくる
というのは
頭の中の掴み所の無いイメージを
最終的な物体にすることです。

イメージから物体へ
急激に移行することはできないので

徐々に具体化、具現化していく必要があります。
その最初のプロセスが
(というか、作る直前までのプロセス)
書く(描く)
ということです。

そうそう
「徐々に」
というのがポイントで

アイデアから突然物体を作れないように

アイデアから急に図面にする
というのも難しいことで
まずはアイデアのスケッチをするとか
曖昧さをある程度許す
中間のプロセスが大事だったりします。

というわけで
面倒でも書く
というのを習慣づけると良いと思います。

私が気をつけているのは
その書き方です。

文章ならば
箇条書きにしない

なぜかというと
箇条書き
という形にした途端に
書いたものの順番とか関係が固定化されて
自由度が無くなってしまうからです。

なので、ブロック状に空間にバラバラと配置したりして
書いた後に関係を変えられるような書き方をします。

ポストイットにネタを書いてブレインストーミングする
なんてのはそういうことですね。

あと、技術関係ならイラストを多用するでしょう。

その際は
大きく描くこと。

小さく描くと分かりにくいだけでなく
発展が制限されますから。

色々付け加えたり
注釈を付けたり
そういう発展性が大事です。

アイデアが浮かんだ状態とか
タスクが発生した状態とか
最初は見えない状態のものを
何とかするのは難しいけど

見えるようにしちゃえば何とかなるかもよ
というお話しでした。

自分が定まると見えるもの

学生は迷います。

経験が不十分だから当然ですね。

迷って悩んで考えて
やってみて失敗して
諦めずに踏ん張って
そんな経験をしていけば良いと思います。

そんなのがしばらく続きます。

でも、それこそが成長してるってことです。

前職で先輩が冗談っぽく良く言っていたことがあります。

「人生40年だ!」

だからそれまでは必死にやるんだ!
ってことなんですけどね。

今にしてみると
まさにその通りだなぁ
と思います。

「四十にして迷わず」

と言います。
確かに、その辺になると迷いが無くなります。

ということは
その後の人生は
そこまでの40年で決まっている
ということでもあるのではないかな。

ゆらゆら揺れて迷う人生の収束点が40歳

そこまではうまく方向が定まらないかもしれません。

でもあえて

「自分はこうする」

と決めてみましょう。

すると、あら不思議

周囲の色々なものと
自分の現状や価値観のギャップが固定化されて
今の自分が何者なのか
どうしたら良いかが見えてきます。

そりゃそうなのです。

基準点がゆらゆら動いていたら
対象との関係は常に変わるので
どうしたらいいかなんて決まりませんもの。

まずは暫定でもいいから
どうするか決めましょう。

そうすると
対象との関係が明確になるので
具体的に必要なことが見えてきます。

で、手っ取り早くやってみて
ダメなら調整を加えたり変えたりすれば良いのです。

ここでは、あまり考えすぎずに
早く動くことが大事です。

考えすぎると
やる時間
モディファイする時間
が無くなりますから。
これ、何度も記事にしていますが。

何かを決めるって勇気が要りますが
だからこそ手に入るものはあるわけで

決めた後に変えたっていいわけです。

イケる!
と思ったら
ハードにプッシュして継続すればいい。
そんな瞬発力も大事です。

人生色々で
考え方もやり方も人それぞれなのでしょうけど
一定の真理というのはあるようで

「人生40年!」
と言った先輩も

「四十にして迷わず」
と言った先人も

それを聞いて
「その通りだなぁ」
と思った私もいるということは
あながち間違ってはいないはずです。

これを真に受けてやってみて
うまくいかなくても責任は取れませんが
恐らく損はしませんよ。

大学生の皆さんは
人生40年!
の半分くらいは終わっちゃってます。

けど、まだ半分残ってます。

さぁ、どうする?