未来をつくる人間をつくる

今から150年ほど前
明治の初期(ほとんど江戸時代の終わりの文化)に日本を訪れた(探検した)外国人
特に欧米人は、「日本は子供を大事にしている 日本の子供は幸福だ」と本に書き残しています。
もちろんそれは自国の状況と比較してのことなのでしょうね。

幸福な子供が幸福な未来をつくろうとするのは当然のことで
社会から幸福に育てられた子供達が社会を幸福にしようとするのは当然のことではないかな。

幸福感が大きいと、行動のための勇気も身に付くのだろうか?
きっと身に付くでしょう。そう思います。

だって、幸福感が低い
つまり不幸な感覚の中にいるときに感じているのは恐怖です。
そんな状態ではなかなか勇気は持てません。

現に、江戸から明治期の偉人と呼ばれる人達は
我が国の未来をつくるために
ダイナミックな活躍をした人達がいますものね。

果たして今の日本の子供達は幸福なのだろうか?
もちろん、単に甘やかして楽をさせるとか
そういうレベルの話ではないですよ。

子供を幸福にするのは大人なのだけど
大人の価値観の押しつけをしている気がする。

現状がハッピーならそれでもいいのだろうけど
うまくいっていないのであれば
そのうまくいっていない価値観を押しつけたら
果たしてうまくいくのだろうか?

恐らくその価値観の中に収まっていることが「正解」ということになって
小さな囲いの中に正解を探す…みたいな寂しいことになっちゃうのではないかな。

これ、いわゆる「教育」と括れる枠の中だけの話ではありません。

未来をつくる人間をつくる
なんて言うと
あたかも外力でグリグリいじるみたいだけど

そうじゃなくて
ちゃんと自力で進んでいけるような人間を育てたいですね。

教育って難しいです。

想像ができない そりゃそうかも でどうする?5

想像ができない原因の一つは何となく分かっています。

好きなことをやらないから
ではないかな。

好きなことをやっていると
「これ、どうしたらいいんだろう?」
という壁にぶつかります。大抵は。

新しいものや新しいことに直面すると
どうしたらいいかは分からない。
ことによっては、誰もどうしたらいいか知らない。
なので「こうしなさい」と言ってくれる人はいません。

そこから先に進むためには想像力が必要になります。
前提には「やりたい」があるからです。

逆のケースを考えると良く分かります。

「こうしなさい」
に応じているばかりだと
想像力は必要ないのです。
そりゃそうですよね。
言われたことをやっていれば良いのだから。
で、そのうち「できればやりたくない」となる。

そうなったら「やりたくない」ことの先にあるもの
なんて考えたくないのは当然でしょう。

想像力も視野の広さも
好きなことをやって壁にぶつかって
「自分の力で何とかしたい!」
と思わない限りは必要ありませんから。

逆に、やらされているのなら
視野が狭くて想像力が乏しい方が好都合なのです。
余計なものを見ずに、考えずに済むから。

こういう基本的なところは
年齢を重ねるごとに
変えていったり
思い通りに形づくったりするのは難しくなります。

個人的には経験上
20代の前半を過ぎると
かなり難しくなると思っています。
「多くは…」という話ですが。

なので、大学生くらいの年齢は
最後のチャンスだと思って良いかと。

とはいえ、結構難しいとは思いますけどね。

それをぶち破るのはやはり
好きなことをトコトンやること
ではないかと思います。

好きなことじゃないと
壁にぶつかっても諦めずに頑張り続けるのは無理ですから。

一応言っておきますが
「やらされる姿勢」
で好きなことをやってしまったらいけませんよ。

あと、どうせやるなら
それを好きになる工夫も重要ですね。

本来、大学なんて好きなことを学びに来ているはずなので
その中で好きなことに没頭できたら最高なのですけどね
なかなかそうもいかないのが現状のようです。

変えたいなら同じじゃダメだ

何だ、このタイトル。

人の心はやっかいです。

何かしら希望があったり向上心があったり
その反面
変化を求めない部分があったり

いったい変えたいのか変えたくないのか
どっちなのさ!?

ってな感じです。
まぁそんなの、どちらか一方というわけにはいかないでしょうから
当然なのでしょうけど。

夢工房での学生の活動を見ていても思いますよ。

何かやっていることがうまくいかなかった。
当然、悔しくて納得いかない。

レベルの高いチャレンジを本気でやるなら
そんなことはいくらでもあるでしょう。

しかし!
その後のチャレンジにおいて
同じアプローチでやってたりして。

あるやり方でやってみてダメなら
同じやり方しちゃダメじゃん。
同じ結果しか出るはずないよね。

なんて話をすることがたまにあります。
「あ、そりゃそうですね!」
ってなことになるのですが。

まぁ、それはそれとしても
世の中そんなことが結構あると思うのです。

現状の生活とか環境とか
別に何が対象でもいいのですが

「これ、本当にこのやり方でいいのか?」
と考えたときに
確信を持って、とは言わないまでも
ある程度自信を持って
「これでいい」と言えない
けどそれを繰り返している
そんなことって結構ある気がします。

以前にも記事にしかかもしれませんが
(していないかもしれませんが)
今の日本の経済状態が良くなくて
失われた30年なんてことになっているわけですが

この状況を打破するためにどうしたらいいのか
というのは大変気になるところなわけです。

それに対して
「生産性が低すぎる」
とかいう意見があったりして
それはもっともなのだろうけど

「じゃぁどうすんの?」
という問いに対して
「生産性を上げるのだ!ドイツみたいに上げるのだ!」
って、なに言ってんだ?って感じですよ。

まず、日本人がドイツ人の真似をしたところで
偽ドイツ人は本物ドイツ人に敵うわけなかろうし
価値観が違う民族の真似をするのも戦略的にどうなんだ?
とも思います。

それはそれとして

今のやり方でダメなら
違うやり方をしないと違う結果が出ないわけで
やり方を変えるというのは
考え方を変えるということで
考え方を変えるというのは
その根底の部分を変えないとどうにもならんのではないでしょうか。

私はそういうことの専門家ではないですが
前職でも現在でも安全管理なんかはやってるわけで
基本的には同じことだと思っています。

何か失敗して事故を起こしました

対策は
「次は失敗しないように気をつけます!」
ではないのですよ。

失敗した根底を掘っていくと
凄く根源的な部分
マインドとかメンタルとか
心の部分に行き着きます。

それは凄くシンプルなことです。
そこに手を入れないと何も変わりません。

どんなに気をつけたって
その行動を起こした根底の部分が同じなら
結果は大して変わりません。
当たり前です。

話がフラフラしちゃって申し訳ないのですが

大学生が夢が無いとか自発性が無いとか
そんなことが話題になることがあると思いますが

ちっちゃい頃から塾に行って
朝から晩まで勉強して
勉強して勉強して勉強して
将来の選択肢が広がるから
なんて言われて
(そう言われた時点で明確な目標が無いことは明白)
外的動機で大学行って勉強して

自分の希望とか思いを行動に移すチャンスがなくて
先送りして諦めて…

そんなふうにやっていれば
もう大変なことなんてやりたくなくて
「やる」と「やらされる」の違いなんて分からなくて
とにかく楽したいなーなんて思うだろうし
社会に出てから生産性なんて上げたいとは思わなくなっちゃっても
それは当然なんじゃないの?
と思いますけど、どうなんでしょうね。

今の日本の状況をダイナミックに変えたいなら
根底の部分をダイナミックに変える必要があるのだろうけど
たぶんそれは「心」に関する事で
とてもセンシティブな問題なわけだから
「皆で一緒に」とかは不可能ですね。
変えたくない人は多いだろうし。
チャレンジしても、きっと一度失敗したら突き上げられてThe Endです。
リスク高すぎます。
既存の組織では無理かな。

なので、夢工房でやりますよ。

ちなみに
「変えなきゃ」
とはいうものの
私は革命家ではないし
何でもかんでもひっくり返して変えればいい
なんてことは思いません。

日本の文化とか伝統とか大好きですしね。

ちなみに、日本の強みは伝統的に
守るものはしっかり守る保守的なところと
変えるべき所は変えるフレキシビリティを
うまく使い分けているところだったと思います。
それは歴史的に見てもそうでしょう。

今は、それがうまくいっていないのではないでしょうか。
根源にあるのは「恐れ」ではないかと思っています。

だとしたら
シンプルですが手強いです。