結局は一所懸命できるヤツがハッピーになる

どんなにものを知っていようが
どんなにIQが高かろうが
最終的には
いかに熱意を持って一所懸命に取り組めるか

それが満足度というか幸福度を決めるんだよなぁ
なんて思いました。

やらされた
要求を満たした

そんなのもアリだし
必要なことだとは思いますが

やってみた
できた

には叶わないんだよなぁ
と。

ものを作ること
特に新しいものを作ることにおいては
その違いは決定的です。

他から課されたタスク
アサインされた仕事
そういうのはもちろん重要です。

でも
チャレンジするのはもっと重要。

コツコツやる姿勢は大事です。

でも、前提があって
それは「何のために」
つまり目的があること。

高い志、目的があって
そのために目標をセットして
コツコツやるなら良いのだけど

目的無し、目標無しにコツコツやるのはもったいない。

高い目標をセットして
それを何とかしようと思うには
もちろん熱意が必要なのですが

一度熱意を持ってしまえば
良いことだらけなのですよ。

熱意さえあれば
不足があっても何とかしようとするでしょう?
知らないことでも、やったことがなくても。

しかも、すぐに何とかしようとすれば
掛けられる時間が多いわけで
大抵はなんとかなるものです。

熱意が持てるかどうかは
できるかどうかではありません。

どうせ熱意を持つ対象なんてのは
やったことがないことですから
勝手に持てば良いのです。
周囲にとやかく言われる筋合いはありません。

あ、勘違いしちゃいけないのは
単なる消費者として
他人に用意された仕掛けに
乗りっぱなしの熱意は違いますよ。
それ、単なる消費行動ですから。

クリエイティブなヤツが良いですね。

さて、コツコツやる話ですが

一度デッカイ目標めがけてやってみて
「あ、これは急には無理だぞ」
と実感してコツコツやるのと

特に目標無しに
「やってりゃそのうち何とかなるだろう」
とコツコツやるのは
全然違います。

中身も密度も違います。
必然性があると無いでは大違い。

目的、目標無しでは失速しやすいから
持続性も違います。

当然、結果は大きく違ってくるし
満足感も違って当然。

その違いを分けるのは
やはり目的なのでしょうね。

何のためにそれやるの?
ということです。

勉強って何だ?

学校の中の「物差し」の話をしよう
と思って、過去の記事を検索してみたら
「物差し」って言葉を使った記事が大量に出てきて
自分がいかに日頃
統一的な尺度に敵意を持っているか
ということが良く分かりました(笑)

いやー、もうね
「勉強さえできれば望みが叶う」とか
いい加減にした方がいいと思うんですよ。

そりゃぁ学校なんだから
勉強ができた方が良いのでしょうけど

そもそも机の上でする
典型的な学習だけが勉強なのか
というのは疑問だし
勉強できるイコール頭が良い
とか、そんなのいい加減にした方がいいですよ。
勉強できるから何なんだ?って話なんですよ。

勉強できることが仕事ができることに直結するわけではない
なんてことは、社会に出ればすぐにばれるでしょう。
学校にばれないのが不思議ですが。

教科書の内容をいくら覚えていても
それが自らが発する価値の大きさにどれだけ寄与するのか
大いに疑問です。

いや、違うな。
言いたいことはそうじゃない。

教科書の内容を覚えるお勉強しかできなくて
しかも、与えられた問題を解くことしか経験がなくて
そういうことに対する評価が高くても
そんなの仕事ができること
つまり、価値を創造したり提供したり
そういうことには繋がらない
というか、あまり関係ない。

そもそも、いわゆるお勉強って
本当に「勉強」なのかとすら思う。

勉強の一部だとは思うけど。

そんなことは学校の外では皆が知ってるはず。

お勉強が苦手なら
他の強みを伸ばすべきなのに
勉強できなければダメな子という評価にして
他のことはやらせない。

というか、やらせることができない
というのが実情かも知れない。

そんなの誰がやらせるんだ?
一体何をやらせるんだ?
ってことになるだろうから。

なんかいつになっても
多様性があって
本当の意味での自由な世の中には
なっていかないなぁ
というのが意外です。

思いは実現する 2

ずっと前に書いた記事の続編というかなんというか

今回はあまりポジティブな出だしではありませんが
思いは実現するというテーマです。

世の中皆が大きな夢を持っているかというと
意外とそんなことはなくて
むしろそんなもの意識していないよ
という方が多かったりするのかもしれません。

意識はしていないけど
では、無意識ではどうか?

もちろん無意識なものだから
良く分からないのですが
行動から紐解くことができます。

例えば
意識せずに、ついつい安全パイを取ってしまうとか
意識せずに、面倒を回避することが多いとか
程度にもよるとは思いますが
そういうことから心の中の無意識君が
どのような望みを持っているのかを
大方推測できると思います。

この場合、意識的に思ってはいないので
「思い」と言うのはどうかとも思いますが
他人から見たら、当人が望んでいるようにしか見えないでしょう。

この無意識が望んでいることは
意識的に望んでいることよりもはるかに強力です。

なぜかというと
無意識は自動的に常に発動しているので
自分でも気付かないうちに行動をしているのです。

無為意識君が、リスク回避したければ
自動的にそうする。

面倒くさいことを回避したければ
自動的にそうする。

もちろん、そうしたなりの結果は出るわけで
無意識君が望んでいる思い
大抵は叶っちゃうのですね。

問題なのは、意識では別のことを望んでいる場合です。

残念ながら意識は
しょっちゅう発動しているわけではないので
簡単に無意識君に圧倒されます。
しかも気付かないうちに。

なので、頭で考えている望みを実現したかったら
無意識君を味方に付けるしかないのです。

方法は
熱意を持って頑張って大好きになって継続する
そんな感じでしょう。

とにかく習慣にしてしまうことです。
無意識君は習慣ですから
ヤツを上書きしてしまおうということです。

それができたら強いですよ。
良い意味で「思いは実現する」ということになるでしょうね。