嵌まってる?

日頃から
「やりたいことを
好きなことを一所懸命やるべき」
と言っていますが

今回のネタは
これと勘違いされちゃうと困るなぁ
と思って書いています。
されないでしょうけど。

今回のコロナ禍で
インターネットを介したビジネスは大躍進でしょう。
あまり取り沙汰されていないかもしれませんが
恐らく驚くほど収益が上がっているはずです。

みんな家から出ないで
ネット経由ですからね。

ユーザーにしてみれば
合理的で効率が良い
ということですよね。

最初は家で我慢していましたが
そのちネットで色々やり始めて
それが普通になっていく。

サービスを提供する側はユーザーを楽ちんにして
ユーザーは、楽ちんで楽しいなー
という関係。

ネットショッピングも
ゲームも映画もSNSも
果ては授業も仕事もオンライン。

で、ですよ

基本的にオンラインで楽ちんな世界は
好きなときに好きなことができる世界です。

嫌なことはやらなくていい。

極端な言い方をするなら
好きなこと以外しなくて良い。
やりたくないならPCの電源切っておけば良いのです。

たぶん電源切りませんけどね。
サイト徘徊したり
次々に好きなサービスを消費しながら時が経つ
という感じでしょう。

好きなときに好きなものを消費するだけの生活ができる。
自分のリソースが尽きるまでは。

まぁ、そんな極端な例はそんなに無いのかもしれませんが
好きなことだけやっていればいい
というのは設計されたビジネスだということです。

自分では好きなことをやっている
と思っているでしょうが
そういうビジネスに嵌まっているだけだったりします。

きっとまだまだ、もっともっと楽ちんで楽しくなっていくでしょう。
そこに嵌まって消費するケースは多いだろうし
それで失うものは確実にある。

楽ちんで楽しいと言うことは
面倒を回避しているということでもあります。

我々の心がそれを選んでいる。

でも、我々が回避したと思っている「面倒」の中に
失っている大事なものは確実にあって
いずれそれが我々の足下をすくうでしょう。

だって、面倒なことって
他から見ると価値あることだったりしますから。
だからそこに収益が発生するのですよね。

なので、面倒なことをやらない
というのは
価値を発揮しない
ということです。

こんな生活で面倒な事をやらなくなって
消費するだけの存在に近づいていったら
同時に自身の価値は減少していく。

なんてことを考えながら
自分を律してます。

楽ちんとか
得した
なんてワードには注意しないとイカンなー
と。

みんなで面倒だけど好きなことをやろうぜ!
何かのために!
誰かのために!

自分のせいにしてしまえ 2

これの続編です。

学生と付き合っていて
気になる言葉があるのです。

「自分はこう思う」

「自分の中では…」

「今の自分はこうだ」

「…な自分がいる」

そんな言い方してませんか?

誰がそういう言い回しを始めたのか
なぜ流行っているのか
そんなことは知りません。

これらの言い回しは
まるで自分を他人のように扱っています。

これ、視座が自分から離れていて
客観的に捉えられているので
一見良さそうですが
自分のことを他人ごとにしちゃっているので
そこに問題があっても
自力で解決できなくしちゃってる
そんな気がするのです。

こんなの単なる流行だよ
と言えばそれまで…
ってことはないのではないかな。

だって、言っていることと当人の気持ちが
大きく離れているってことは無いと思うのですよ。

他人ごとのことのように言うなら
それは他人ごとにしたいのでしょう。
自分が手を打たなくても良いように。

それに、自分が発した言葉は
必ず相手に向けられます。

なので、相手はその言葉から
発した本人のことを判断します。

こんな人ごとみたいな表現で何かを訴えられても
本人が何とかしようとしている
とは思えませんので
何ともならない気しかしません。

なので、どうしたら良いかというと…

ちゃんと自分のせいにしろ

ってことです。

自分のせいなら
自分で解決できますから。

責任から逃れてしまったら
自分の力が及ばないので
ずっとそいつと付き合っていかなければなりません。

でも
「自分のせい」
を悲観的に捉えてはいけません。
自分でコントロールできるのだ
と考えましょう。

悲観的に考えていることなんて
解決できませんから。

「たかが言葉だ」
と侮ってはいけません。

ユダヤ教の聖典タルムードにはこうあります。
マザー・テレサの言葉の原典はこれですね)

自分の言葉に注意すること。それは自分の行為となるから。

自分の行為に注意すること。それは自分の習慣となるから。

自分の習慣に注意すること。それは自分の性質となるから。

自分の性質に注意すること。それは自分の運命となるから。

言葉を自分の思考や行動と切り離すことはできません。
それはいつか結果となって現れるのは当然です。

今回も偉そうなことを言っていますが
もちろんこれは
自分自身への戒めだったりもするのですけどね。

物差しをひっくり返せ

学校でいうところの
できるヤツ

できないヤツ

これは勉学の成績についてですね。

授業においては
この物差し上で評価されますが
皆さんご承知の通り
人の価値とはそういった
単純な物差しだけでは測れません。

…ということは分かっていても
どうしてもそういった尺度で
判断してしまいがちではないですか?
もちろんそうでなければ良いのですが。
どうなんでしょうね?

社会で活躍されている方なら分かっていると思います。

勉強ができる・できないと
仕事ができる・できないは
あまり関係ないよね
って。
全く関係ないとまでは言いませんが
イコールではないでしょう。

研究者としてなら重要なのかもしれませんけど
ひょっとすると開発系の仕事では顕著かもしれません。
業務内容にもよるかもしれませんが。

夢工房での学生の活動を見ていると
よーく分かります。

言われたことができたり
たくさんものを覚えられるのと

創造性を発揮したり
チャレンジできるのは別のことです。

そもそも出来が良くて
あまり失敗の経験の無い者は
打たれ弱くてチャレンジできなかったり。

言われたことをするのが得意な者は
言われてもいないことを自発的にやるのが
苦手だったりすることがあります。

そもそもやる気が起きなくて
やるべき事ができないのはこの際論外なのですが。

何が言いたいかというと

万能な人なんてそうそういないわけで
なにも人と同じことを同じようにやらなくていいのだ
と気付けば
何かしら力を発揮できる部分が
見えてくるものなんですよね。

神様は、うまいこと
そういう「隙」を作ってくれている。

そういうのに気付いた学生は強いです。
一般的な、できる・できない
の物差しを、ひっくり返したりします。

さらに言うなら
多くがそういうことに気付いて
皆で補完しながらチーム力を上げられることに気付けば
皆で凄い成長をするでしょうね。

学校って、本来は
もっともっと学生達のポテンシャルを
引き出せるはずだと思います。

ま、夢工房はそういったことはお構いなしで
変わり続けますけどね。