人との繋がりの重要性

現代人は一人では生きられなくて
人との繋がりで
やっとこさ生きているようなものだから
その繋がりが切れるってことは
生きる力を失うってことになるのかもしれません。

皆さんお分かりの通り
現代は人との繋がりが希薄になってきているので
それだけ「弱くなっている」ということになるのかもしれません。

この人との繋がりは
「スキル」で成立している
という捉え方もあるかもしれませんが
より価値のある繋がりは
やはり「心」ということになるでしょう。

人との接点をより強化したい
深化したいと思ったら
勇気が必要だと思っています。

うまくいかなければ傷付く可能性もあるし
そこには何かしらのトレードオフがあるかもしれない。

何より
大抵の場合は
自ら相手に差し出す「何か」があるはずです。

それは気持ちかも知れませんし
それに基づく言葉や行動かもしれません。

いずれにしても
大なり小なり勇気が必要になるのではないかな。

便利で快適な今の世の中であれば
人との繋がりが希薄になっても
何かに依存したり
代償を払ったりして
とりあえず生きてはいけますが…

何というか
心の奥底の方で満足いない何かが残ります。
最終的には
自身の価値に疑問を持つことになるのではないかな。

その感覚に慣れてしまうこともあるかもしれないけど
そうなってしまったら寂しいですね。

いや、待てよ。
満足いかない状態で「良し」とするかどうか
それが大きな分岐点ということなのでしょうね。

やはり人の価値というのは
他人の役に立ってナンボ
ということなのです。

自身の欲ばかり満たしていても
短期的な快楽は得られるかもしれませんが
それで誰が喜ぶわけで無し
それで価値が高まるとは思えません。
高性能な消費マシーンのようにはなれるかもしれませんが。

学校は
こういったことを軽視していても
やっていけるシステムになっていて
それはどんどん強化されています。

でも、社会に出るとスイッチを切り換えたように
環境が変化します。
社会は学校に合わせてはくれませんから。

見ようによっては残酷です。

夢工房の活動は
そういったギャップを埋めるためにある
といっても過言ではないかもしれません。

難しいことではありますが。

誰かが手取り足取り助けてくれるわけではありません。
だって、自分でやらないと意味が無いことですからね。

でも、喜びはきっとその先にあるのです。

日々発見

ある日ふと何かに気付くことがありますよね。
大抵は何かしらのきっかけがあったりするものですが。

そいうのを大事にしたい。

でも、気付きに対して何かしらアクションをしなければ
大抵は忘れてしまうもので
それを活かしたくともどうにもできません。

日記などを付ける習慣がありませんので
そういう時に、ブログを書くというのは役に立つな
と思います。

文字になっていれば後で思い出すことも容易ですし
内容がどうであれ、何かしらの役に立つ可能性もあります。

当を得ていれば何よりですし
的外れでも反面教師的に役に立つこともあるかもしれません。

2年ちょっとの期間
毎日記事を書いているわけですが
たまに以前の記事を見直すと
違和感を感じることがあります。

これ、自分が書いたのか?
と。

その違和感は
成長によるものだったら幸いなのですが
単に記憶力が悪いだけで
以前は何を考えていたのか
何を書いたのかを覚えていないだけかもしれません。

いずれにせよ何かしら変化によるもの
であることは間違いないでしょうから
自身の考え方の変容を確認したりするわけで
そういうのも含めて面白い。

自身の長期的なテーマとして
自分は一体何者で
何をすべきなのか
というのがあるのですが

まぁ、この辺は多くの人が共通に持つ疑問だとは思います。

やはり人様のお役に立たない限りは
価値は無いのだよなぁ
なんて思うのですが

では、どうやってお役に立とうか
なんて日々考えたりするわけです。

で、日曜日の今日は
夢工房で学生に付き合いながら
本を読んだりしていたわけですが
やはり本からは発見があるなぁ
なんて思った次第です。

色んな人の色んな価値観に触れることができるからでしょうね。

「理論は経験の省略なり」
解釈を拡大すれば
読書はこれに通じるところがあると思います。

感性と価値観

ものを作るとき
知識とかスキルとかは
その出来映えに大きな影響をもたらすのは当然ですが
「感性」とか「センス」を忘れてはいけません。
これらはオマケではないのです。

そもそも「感性」とは何か?
ものごとを感じ取るセンシング能力ですね。

経験に基づく基準があって
それに対してセンシングしている対象の位置付けを評価する能力
というところまで含んでいる場合もあるでしょう。

そもそもセンシングするだけなら
経験に基づく基準は要らないのかもしれなくて
対象に興味を持てるか否かが大事なのだろうな。
とも思いました。

興味の無いものはセンシングの対象にならないし
評価もできないでしょうから
単にセンシングしているだけじゃ
それは感性とは呼べないでしょうね。

いわゆる「センス」は、ほぼ同じ意味ですが
「センス」は表現されるアウトプットの結果まで含むこともありますね。
なので、センスが良いとか悪いとかいう話になる。

さてさて
感性が評価する基準は
「価値観」ということになるでしょう。

これに基づいてセンシングの対象を
選別したり評価したりしているはず。
当然、興味のないことは対象にならない。

ものづくりに重要な感性を磨くには
当然ながら経験の数とか質が大事になってきます。
五感を使って実際に「やる」ということです。

これは感覚的なことだから
そもそも言葉や文字にして伝えるのは難しくて
定義すること自体が難しい。
もちろん授業では伝えられない
やらないと分からない世界。

もちろん若い方が感性は豊かで敏感なので
始めるのは早い方が良い。

年齢を重ねてから感性を磨くのは…
絶対に無理ではないだろうけど難しい。

特に手を使ってものを作っていくことは
癖が影響するだろうから。

癖は無意識に発動するフィルターだったりもするから
癖が付いてしまってからでは見えなくなるし、分からなくなる。

品質とか美しさは今の授業では学べません。
それを達成するため必要な考え方とか
努力のしかたも分からないでしょう。

下地が無いままで社会に出て
時を逸した後に学んでも限界があるだろうから
大学を出てからでは、色んな意味で無理があるでしょうね。
価値観が固まってしまってからでは遅いのです。

何とかしないとね。