人の価値

何かしら価値ある人になりたいですよね。

どんな価値?
どれくらい?
誰にとって?
とかありますが。

仕事なんて最低限にやって楽して暮らしたい
なんて思うのも自由なわけですが…

それ、外から見たら
別にいなくてもいい人
ですよね。

結局、人の価値なんてのは自分では決められないわけです。
「あぁ、アイツがいてくれて良かったなぁ」
とか、そういうことですよね。簡単に言うと。

特にエンジニアなんてのは分かりやすくて、まさにそこでしょう。
エンジニアじゃなくても同じかとは思いますが。

となると話は簡単で、人がやりたがらないこととか、できないことができると良いわけですよ。でしょ?

皆がやっていることをやっていて、その中で相対的に優秀だってのも確かに価値なんでしょうけど、独自性とか希少性とかも価値です。

そういうのって世には色々あるのだけど、学校なんかだと
「それは難しいこと(学術的に難易度が高いこと)ができることだ!」
みたいに、単一の物差しを用意しようとするのですよね。
まぁ確かにそれは分かりやすいところだろうし、評価しやすいってのはあるのでしょうけど。

でも、実はそんなのは他にも沢山あるわけで、例えば「勇気を持ってチャレンジする」なんてのは最たるものなわけですよ。
「すぐやる」とか「人がやらないことや、できないことをやる」とか「諦めずに続ける」とかね。

でもそういうのって点数にならないからなぁ。

でもね、そもそも在学中の点数って、何の役に立つんでしょうね?
自信が持てたりはするでしょうし、心の支えになったり、何かに一所懸命取り組んだ証拠みたいにはなるかもしれませんね。

まさかそれで将来の重要な何かが決まるとでも??

誤解のないように言っておきますが、知識は大事だと思います。
それが使えるのなら。

使いもしない知識を得ることに膨大な時間とか労力を使うのは無駄なんじゃないかな。
無駄ってのは言いすぎかもしれないけど、皆がそうじゃなくても良いと思うんですよ。
そんなヒマがあるなら、やりたいことを一所懸命やって、ぶち抜けちゃえば強力な価値を得られるんですけどね。

こんな考え方をするのは、自分が劣等生だったからなんでしょうね。
まぁ、色んなやり方があるってのは確かです。

うまくいくための方法 教育ということであれば

じゃぁ結局、どうしたら良いのでしょう。
「やらせる」と「やりたくなくなる」のでしょう?

じゃぁ、やらせなけりゃいいんですよ。

やることを指示されて従うのが好みであれば、今のスタイルの学校がピッタリでしょう。
恐らく多くはそっちが好みでしょう。教わる方も教える方も。

「言われたことをやるだけなら、AIとガチンコ勝負になっちゃうぜ」
ということなのですが、多くはそうしたいのだと思います。
それは今の学校の現状を見れば分かるでしょう。
それに、言ったことをやってくれる人材は、これまで必要だったわけだし、これからも必要です。AIや機械が全部やってくれるわけでもないので。

なので、それとは別に、主体性を持って、やりたいことをひたすらやれる学校があっても良いと思います。

現状みたいに、文系とか理系とか、機械とか情報とか、分野で分けるだけではなく、やり方で分けてみても良いんじゃないかと思うのです。

本当にやりたいことがある人間と、やらされたい人間を混ぜた環境はイカンと思います。
人は楽チンな方に引っ張られますから。

やりたいことを明確化して、やると決めたなら、そこにはリソースを投入する価値はあります。

言われたことができるようになったり、言われたことを覚えるのも教育でしょうけど、言われてもいないことができるようになる教育も必要だと思います…というか、絶対に必要です。
より高次な価値はそこにあるでしょう。

商品だって同じことで、お客さんが望むものには価値がありますが、お客さんが思いもしなかったものを提案するところに、より高い価値があります。

そもそも、大学の進学率が高止まりしたのであれば、違う形態が必要な時期が来たってことだと思うのですよね。

新しい学術分野が…とか何とかと言ったところで、「やらせる」のであれば結果は大して変わらないというか、同じことの繰り返しになるだけでしょう。違いますかね。

実は、やりたいことをひたすらやれる学校は、すでにあります。
日本の学校ではないし、分野が限定的ですが。
よく調べたわけではないので、日本にもあるのかもしれませんけど。

で、皆がそういうところに行きたがるかというとそんなことはなくて、やはりいわゆる有名どころの学校に行って、やるべきことを言われて、それをやるというやり方を多くが望みます。

それが良いのだとか悪いのだという話ではなくて、恐らく世が望むバランスとはかけ離れているのが現状だろうと思うのです。

で、ついでに言うなら、こういったことは優劣の問題ではなく、単に自分の役割を自分で決めているだけの話だと思っています。

うまくいくための方法 「やる」について

今回は「やる」についてです。
ザックリで極端な話ですが、何が問題なのか考えてみました。

前回の「考える」も、「やる」のためで、「うまくいく」ってのは、結局は「やる」ことによる結果が、望みに沿ったものになるかどうかということです。

「考える」からスタートして、「やる」ことによる成果を得るまでは、色々あるわけですが、ここで肝になってくるのは、何を重視するかという優先度。プライオリティってヤツです。

なぜ「やる」のかというと、結果が欲しいからなのですが、多くの場合は、それに掛ける労力などと秤に掛けます。
そして、どのようなバランスにするかは個人の価値観によるといったところでしょう。

優先度もヘッタクレもなく、厳然として存在する時間という存在、つまり「締め切り」もあります。
これは他から課された締め切りだったり、自分で設定したタイミングだったり、はたまた人生という逃れようのない時間的な限界(残りがどれくらいあるか分からないですが、若いうちは気にしません)だったりします。

とまぁ、こんな感じで、優先度、結果と労力のバランス、時間的な限界、それら中でどのように「やる」かを決めるということになるのでしょうね。

とはいうものの、そういったことを決めていくにしても、前提としてすごく大事なことがあります。それは熱意、パッションです。望みを叶えるための原動力になるものです。

で、これもまた厄介で、現状に不満が無ければ理想なんて無いわけで…逆もしかりで、高い理想が無ければ不満も無い、ということにもなります。

平和で、安心安全で、生きることに困難や問題を感じない環境であれば、別に今のままでも良いというか、むしろ今のままが良かったりするわけで、そんな状態であれば手詰まりです。始まる前に終わっています。

学校の場合、その状態に対して「やる」というタスクを課すわけですが、そうなるとそれは「やる」ではなく、「やらされる」になります。

「やらされる」になった途端、欲しいものは「成果」から「課された負荷の低減」に変わります。
なので当然ながら、そのための行動をとります。パッションは萎みます。

とても残念なのは、このようなルーチンを繰り返してくると、それが習慣になっているので、自発的に「やる」べきものに対して、「やらされる」ときと同じ行動をとってしまうということです。それも無意識に。

結局は「やる」がうまくいかないのも環境の影響が大きいですよね。
では、それは悪い環境なのかといえば、平和で安心安全で不満が無いのだから、悪いはずは無くて、何か皮肉だなぁと思うのです。