結局ワクワクしないとダメなんだね

授業では、学生に外的動機で勉強させます。
そうじゃない人もいるけど
そういうのは稀ですね。

どうなっているかというと
仕組みや構造、ルールなどによって
やらなければならない
ということになっています。

学生にしてみれば
「やらされる」ってことになるのでしょう。

きっと昔々はそうではなかったのでしょう。
学校に行ける人が限られていた時代は
学びたい人が、自発的に学ぶ場所であったはず。

でも今は、それこそ誰でも学校に行き
多くが大学に行きます。当たり前のように。

そして、大学の学部では飽き足らず
大学院への進学が当たり前な状態にシフトしようとしています。

これは、教育のインフレが起きている
ということになるのでしょうか。

最終学歴云々などというのは
最近はあまり重視されない
というか、これからますます重視されなくなる
のではないかと思っています。

まぁ、「当たり前のこと」に
価値があるはずは無いですから
学歴が「当たり前」になっちゃえば
当然と言えば当然なのですが。


学歴がどうとか、何を知っているかとか
そんなことより
結局、その人が何ができるかが問題だ
というふうになっていくでしょう。

いや、もうなりつつある。

最近、「学校が面白くない」
という話を聞く機会がありました。
夢工房の話ではなく
小学生、中学生とか、よその大学に入学した子たちからです。

昔は、学校が面白くなくて、行きたくないって子は
いじめの問題とか、勉強できないからとか
そんな理由が多かったような気がします。

でも、話を聞いた彼らは違ってました。
人一倍鋭い感性をや個性を持っていたりするのです。
で、「面白くない」のです。

学校で学んでも
感性をや個性を発揮する機会は無いし
自分がワクワクするような
未来に繋がっている気がしない。
そういうことです。

言われた事を単に学ぶなら
むしろ感性や個性なんて無い方が良いのです。

言われた事をやるだけなら
誰だって良いのですから。

学校は、若い子たちに
自発性や、自律性を求めたりしますが
そういうものがワクワクする未来に
繋がっている事が実感できるような
仕組みや構造になっていません。

とはいえ、学校という大きな組織は
そう簡単に変われないでしょう。

夢工房は、やりますよ。
夢のために、やる。

小さな成功体験とは言いますが

「小さな成功体験を…」
同意はできるのだけど
ずっと違和感を感じていました。

確かに小さな成功は
小さな自身を生みますし
その後の動機にもなり得ます。

なのに、どこが悪いんだ?
と言われれば
別に悪くはないので否定はしません。
そうしたい人は、そうすれば良いのですが…

そういうの嫌なんですよ。
正確には
そういうのばかりじゃ嫌。

良いとか悪いとかの問題じゃなく
そういうのばかりじゃ面白くないんです。
もっと大きなチャレンジをして欲しい。

だって、やればできるんだから。
本人がそれに気付いていないだけです。

地道にやっていくのは大事です。

でも、小さな成功体験を積み重ねていくと
大きな成功になるわけではありません。

常に小さなゴールをセットしていると
大きなゴールをセットできなくなるし

大きなゴールをセットしないと
そのために必要な思考が手に入りません。
例えば
達成に必要なものを逆算して想像するとか。

そして
小さな成功そのものから学べることは
実はそれほど無いのです。

「成功」の前には
「チャレンジ」があるはずで
仮に労せずに成功したところで
そこから何が学べるのか?
どれだけ成長するのか?

そう
失敗が必要です。
絶対に。

そしてその後の
「で、どうすんの?」
の中に、やった人にしか分からない
教科書にできない学びがあります。

そんな学びを沢山含んだ
良質な失敗をして
大きなゴールに到達して欲しいのです。

未来予測とその対応 その15

いよいよこのシリーズの最終回です。

・「オープン」で「柔軟性」がないとダメ。
日本は硬すぎで均一的すぎ。工場の労働者を作っているのではないのだから…。

まず「オープン」であること。
これはとても大事。

心が
マインドが
閉じているか否か
そういうことです。

どうも最近は
選択肢を狭めていって
とにかくやることを少なくする
とにかく面倒を無くす

そうやってリスクを避ける
その方が楽だし
変化が無いから安心。

そんな風になっている気がします。

以前からそんな風潮はあったし
学生はそんなもんだとも思いますが
コロナ禍で加速して強化された気もします。

そんな風にしていたら
面白いことなんて起きないのですが
面白いことなんて起きない日々に
慣れてしまったのでしょうか。

動かずに楽しめる娯楽が充実しているし
学校などは、とにかく色々準備して提供する。

それを受け止めるだけで
学んでいる気になれるし
楽しい気分にはなれたりしますしね。

学校や会社など、組織では
不都合とかトラブルとか
そういったものも最小限最低限になるように
すでにセッティングされたものを
提供されるようになっていませんか?

まぁ、それは決して悪いことではないのだろうけど

不都合とかトラブルとか
そういったものに向き合って解決することで
人として成長するのですが

そもそも
そういったものがすでに排除されていたり
避けてばかりいては

工夫とか、問題解決とか
そういった大事な能力を得る機会は
ことごとく奪われてしまっている
という見方もできるでしょう。

そんな環境で
受け止めているだけでは
面白いことを作り出して
発信することはできません。

つまり、価値を作って提供することができない
ということですが
これは「仕事ができない」ということです。

ただ、マインドが閉じていたら
そういったことは見えませんから
気にならないでしょうけどね。

「柔軟性」に関しても同様です。
それはここでも書きましたが。

結局は、用意されたことを受け止めるだけ
つまり、言われたことをやる
という環境が強固に定着してしまった状態では
柔軟性なんて要りませんから。

誤解を恐れずに言うなら
確かに工場の労働者なら
それでも良いのかもしれません。

ただし、旧態依然とした
イケてない工場ですが。

今どきのイケてる工場で働いている人達は
単に言われたことをやる
みたいな仕事はしていないでしょうけどね。

そしてさらに誤解を恐れずに言うなら

恐らく学校の先生をはじめ
多くの人は勘違いしています。

仕事は言われたことをやるものだ
と。

確かにそういう仕事はありますし
どのような仕事でも、そういう側面はあるでしょう。

トップじゃ無ければ業務指示には従うし
お客さんのオーダーにも従う必要はある。

でも、大事なのは
いかに仕事を「自分のもの」にして
情熱を持って、知恵や工夫を入れ込んでいくか。

確かに、単に言われたことをやるのなら
少しでも知識があった方が良いのかもしれません。
言われたことを理解できるようにね。

でも、今はそうではないし
これからは、ますますそうなるでしょう。

知識の面は、AIをはじめ様々なツールで補強できます
というか、ヘタすりゃ代わりにやってくれる。

なので、夢や熱意や行動力など
心が駆動するものを大事にすべき時代に突入している

と思いますよ。

そんなことを考えていると
そりゃぁ、オープンで柔軟でないとどうにもならないだろうなぁ
という気がしませんか?直感的に。