価値の本質 その2

価値の本質を形づくるものは
きっと色々あるでしょうけど
ここでは
ものをつくる
という方向性で考えてみましょう。

「もの」と、平仮名にしているのは
物体に限定したくないからです。

生み出した「もの」が
もたらす効用によって
得られる感情
それこそが価値の正体です。

それは、安心感だったり、喜びだったり。

それが大きい方が価値が高い
ということです。

では次に
これを夢工房で行っているようなことに限定すると
やはり、性能とかの数値化できるものが価値に繋がりそうです。
とはいえ、数値化できない外観の品質なども重要です。

いずれにせよ
やっていることは、喜びを得ことに繋がるものづくりです。

良いものを作りたい
ということですね。

そう。
「良いもの」が喜びを喚起するわけで
それができるような人になることが
夢工房におけるゴールのひとつです。

「良い」とは一体何でしょう?

相対的なものです。
何かに対して「良い」とか「良くない」とか
そういうことです。

もちろんそこには
数値的な比較が可能な絶対的なものがあったり
主観的な、いわゆる「好み」のようなものがあったりします。

いずれにせよ、比較対象に対する
優位性とか差別化とか
そういうことが「良い」の根源にあります。

※もちろんここで言う「差別化」とは、「人種差別」のようなネガティブな意味ではなく、「他に対する違い」という意味です。

問題は
そういったものを創り出すための
能力とか感性とかを育むための機会が充分にあるのか
ということです。

製品開発をするなら
極めて重要な事です。

皆で同じことを学ぶ授業では
皆が同じものを、同じように教えられ
それを理解するとか知るとか
そういうことがゴールです。

そこには差別化はありません。
他と異なることをする能力は評価されない。

そして、そこには
目に見える答えしか用意されておらず
感性を育む機会はありません。

そういった能力や感性を身に付けるには
やはり、ものを作ること
特にコンペティションが最適だと思っています。
エキサイティングだしね!


価値の本質 その1

人の価値の本質は何だろう?

どれだけ人の役に立つか
それによって
どれだけ相手を、周囲を喜ばせるか

これに尽きると思う。

もちろん、安心とかの感情もありますが
そういったものも、この際「喜び」に含んでしまいましょう。
その方が単純化しやすくて話が早いから。

その価値の大きさは

反応する感情(喜び)の大きさ
反応する人の数
持続する時間

などで決まるでしょう。

一般的には
当たり前の事に対して
価値は感じられないし

誰の役にも立っていないのに
価値がある
とは思われない。

そして、価値は
それを受け取った人が感じる感情なので
発する側は決められない。

自分で決めるものではないということです。

ものを作る我々の手段としては

希少性とか独自性、優位性
品質とか性能とかの完成度
信頼性や耐久性やコスト

そういったものの創造と提供
ということになるでしょう。

なので、それを実現できるようになることが
夢工房で活動する学生達のミッション
ということになるのでしょうね。

その手段を
自分が好きな事で
自分が得意な事で
とすれば、大きな力を発揮できる可能性が高い

乱暴な言い方をするなら
学校で学んでいる若者は
本質的には無価値。

というのはさすがに言い過ぎで
発揮する価値が小さい。

彼らは「これからの人」なので
持っているのは
未来において価値を発揮する「可能性」

この可能性こそが、彼らの価値である
と言っても良いと思う。

人は一人では生きていけない
社会で生きていくためには
価値を発揮・提供する必要がある

そのためのアイデアや手段を獲得する
もしくは、獲得する準備をするのが学校です。

人と同じことができる
言われた事ができる
そして、それが凄くできる
それが学校での評価における「優秀」ということ。

そういうのも大事でしょう。

そして多くの学校では
独自性とか差別化なんてのは評価されない。
というか、できない。

というよりむしろ、そういうことは
やりたくない。
だって、面倒くさいから。
数値化しにくいし、主観的なものだし。

そりゃそうだ。
多くの人間を同時にハンドリングするのだから
そう思うのは当然でしょう。

でもね、そういう組織で成長したら
その当人だって
面倒な事をやりたくない
ってなって当然ではないですか?

でも、皆が同じように
それだけで良いのか?
それだけが良いのか?

一般的に成長は「階段」に例えられます。

あらかじめ決められた階段を昇っているだけで良いのか?
皆が同じように昇っているだけで良いのか?

価値観は同じでなければいけないのか?
差別化は許されないのか?

そしてそもそも
人を喜ばせるための手段を学んでいるのに
自分のための事しか考えていなかったりしたら
それは本末転倒というか
そもそも無理な話ではないか?

社会で生きていく力が無いということになるのではないか?

ということで、心の時代がやってくるのです。

思いは実現する 3

前回の記事から1年。
再び同じことを考えています。
というか、しょっちゅう考えている事です。

外的動機で動いていると
自分の「思い」を発動する必要は無いわけですが

夢を実現しようと思ったら
この「思い」の発動がカギで
実にクリティカルなわけです。

裏を返せば
強い「思い」を発動できれば
大抵の事はできちゃうと思っています。

そのタイミングが問題で重要なのですが
いつでもどこでも発動できる事が理想でしょう。
なかなかそうもいかないかもしれませんけどね。

でも、全然そんなことできないかというと
そうでもありません。

多くの人はポテンシャルは持っているけど
うまくコントロールできていないだけ。

例えば
宿題を締切直前に慌ててやるとか
テスト前の一夜漬けとか
動機は外的だけど
「やらなきゃ!」
という強い思いは発動できているのです。
それで行動もできている。

ただ、それを自分の意思で自由に発動できない
と思っているのが問題
というか、とても残念。

外的動機で動く事に慣れてしまっているからでしょうね。

外部から
やらせればやらせるほど
そうなるだろうし

外部が
やってあげればあげるほど
そこから抜け出せなくなる。

そういう状況では
自分の思いを発動しなくて済むので当然ですが。

というわけで
夢工房では「思い」を大事にしています。