禅の教えに「不立文字(ふりゅうもんじ)」という言葉があります。
文字で全ては伝えられない
というような意味ですね。
これに対して昨今では、「文字になっているものばかり信用する」のような風潮がある気がしてなりません。
加えて言うなら、形になっているものしか信用されないような風潮も感じられます。
やってみなけりゃ分からない
これが軽視されているというか、ほとんど無視されてる気がします。
やってみなけりゃ分からないことを、やらなくても分かるようにするのがテクノロジーだったりするのかもしれませんが、それには限界があります。
だって、新しいことをやったら、それによってまた新しいことが起きるのですから当然でしょう。
やらなくても分かっていることは古いことです。
なので、ここから先は考えても分からない「やってみなけりゃ分からない」が必ず出現します。
それに、そもそも「やってみよう!」と思う気持ちが無ければ何も始まらないのですが、それは文字や形になりません。字面だけでは伝わりませんから。でも、とても大事なことです。
せっかく学校で学んでも、「知る」ばかりで「やる」経験がないなんてことが起きているとしたら、それは残念なことです。
文字にできない「やらないと分からないこと」が沢山手に入ったら、それはそれは強力な、一生使える武器になることでしょう。