私の仕事2

人の価値ってなんだろうな

と考えるのは
私にとって重要です。

なぜかというと
教育は、人の価値を大きくするための仕事だと思うからです。

価値といっても色々あるのでしょうけど
何のために?
といわれれば
世のため人のため
というところでしょうか。

教育を受けるのは
いい仕事に就くため?
自分の収入を増大・安定させるため?

なに言っちゃってんですかね

いい仕事に就けるのは
(採用してもらえるのは)
世のため人のためになりそう
そんな期待が持てるから

収入が増大・安定するのは
世のため人のためになっているから

産業界であれば
お客さんを喜ばせられそうな期待ができるか
で就職できて
お客さんを喜ばせるためのことができているか
で給料がもらえる

そういうことでしょう。

もちろんそのためには良い仕事ができる必要があるのですが
良い仕事をするためには何が必要なのでしょうね?
というのを掘り下げていって
その基本をというか
基盤を成すものを探ったり
実践してみたり
そういうのが大事なのだと思っています。

こういうのって
かつて我が国には
かなり明確な何かがあったのだと思います。

だって考えてみて下さい

資源の無い島国が
何でこんなに発展してこられたのか?
何も理由が無いわけはないでしょう。

それは文章としてなのか
はたまた心の中の明文化できない何かなのか
それは分かりません。

でもそれは
当時は常識だったので
今に残っていないのかな
なんても思ったりもします。

だって、当たり前の事なんて
明文化しておこうとはしませんものね。

でもまぁ、仮に分かったところで
現在同じ事ができるとは限りません。

なので、そういったことを調べるのは
大変興味深いことで継続すべきなのでしょうけど
そればかりに集中して深入りするのではなく
新しく色々考えてチャレンジするのが今やるべき事なのだろうな
と思ってジタバタしています。

そんなことをしつつ
強みを見つけたり作ったりして
それを伸ばすのが仕事なんだろうな
とか考えています。

リアクションからアクションへ フォローからリードへ

アクションとかリアクションとか
何回か記事にしていて興味深いところではあるので
また書きます。

学生は先生のいうことを聞く
という意味では多くがフォロワーな訳で
基本的にはリアクションを中心とした行動を取る訓練を受けています。

「訓練を受けている」は言い過ぎ?
でも、結果的にはそうなっていると思いますよ。

先生からのアクションに対するリアクションをして
先生のリードに対してフォローしていく
そういうことですもんね。

すでに存在していて隠されている答えを
導き出すのが学生のミッションになっていて
正解か不正解かで評価されます。
授業では。

そいうのも必要で大事なことだと思いますが
それは必要なスキルの一部なわけで
それが完璧にできれば
それこそ学校では完璧なわけですが
それで社会に出たら完璧かというと
残念なことに
言われたことしかしないヤツ(できないヤツ)
という評価をされるのは間違いないわけで
こりゃ頑張っても報われないわな
と思うのですよ。

本人は
言われたことをするのが仕事だ
と思い込んでいたりするので
そんな場合には出口が見えません。

言っておきますが
リアクションは大事です。
それすらできなければどうにもなりません。

でも、リアクションが行動の中心で
他人の顔色を伺いながらフォローしてばかりじゃ
面白くならないでしょう。

それはもう、リードする側もフォローする側もです。

フォロワーでリアクション中心では
自分が望むように流れを変えることはできないので
そのループは果てしなく続きます。

でも、そうなっているのは
自身で自分の役割を決めた結果です。

経験を積んでいけばいつかは…
と思うかもしれませんが
これはスキルとか知識の話ではなく
マインドの話なのです。

自分がどうしたいのかが問題なのですね。

もちろん経験を積んでいく過程で
自主性や主体性を手に入れて
フォローするループから脱するかもしれません。

でも、自分の意思・意見が無い
ということになると
自分の外にある「答え」を気にする必要があるわけで
そうなっていたらフォローしてリアクションするしかありません。

最悪の場合
自分の意見がなければ
答えすら気にする必要はなくて
単にリアクションを繰り返せばいい
ということにもなりかねませんが
これはつまらなさすぎますので
ここでは論外としましょう。

ビギナーであれば
最初はフォロワーでリアクションが中心かもしれませんが

常に
「自分はこうしたい」
という気持ちを持っていてほしいものです。

で、できればそれを発信し続けてほしい。

それが外から見えなければ
チャンスを手渡すことはできないから。

そういうのは
現時点のスキルとか知識とかは関係なくて
自由ですから
どんどんやったらいいのです。

自分の思いを外に出して
頑張ってリードしようとしたらいいですよ。

頑張って繰り返していたら
そのうち良いこと起きますから。

「土」ってなんだか知ってるかい?

我々日本人にとって
地面と言えば「土」ですが
この「土」って一体何なのか考えたことありますか?

そうですか、ありますか。
でも話を続けますよ。

我々には、身近にあるのが当然で
あまりに自然で、馴染みが深くて
だからこそ、あまり気にしないのだと思います。

そんな土は一体何なのだろう?
と、ある日突然気になったのです。

それは新潟の山の中にある温泉宿の露天風呂に入っていたときです。
目に入るのは目の前の渓流と森の木ばかりで
こんな事を考えたのでした。

ああ、この木も成長して
いずれは朽ち果てて
大地に還っていくのだろうなぁ。

で、その大地からまた芽が出てくるんだろうけど
その土は、岩石が微細に砕けたかけらと
植物や動物などの生き物の成れの果ての混ぜ物なわけで

ということは
死がなければ生は無いわけで
生があればいつかは死が訪れるわけで
そんなのが延々繰り返されて
たっぷり土があるからこそ
木がしっかり根を張って
こんなに大きくなるんだよなぁ。

そんな土の層が十分な厚さになるには
一体どれだけの年月が必要だったのだろう。

昔は日本人も土葬だったので
この自然のサイクルの一部だったのだろうけど
今やほとんどが火葬になっちゃって
自然には貢献してないんだな。
なんか申し訳ないというか何というか
今や地球には役立たずじゃないか。

というか、いつかは自分も死んで
自然の一部になるのだとして
新たに生まれる生命だって
自然から発しているとしたら
一体、自分と自然(地球)の境目ってどこなんだ?

待てよ
火葬じゃ地球に役立たずというわけではないのかな?

燃えて気体になったものは大気に還るし
灰は、播いちゃえば地球の一部だな。
でも何か味気ないな。

あと、忘れちゃいけないのは水だよなぁ
水も周囲にあるのが当然だと思っているけど
水か無ければ生き物はいないわけで
そうなったら土だって無いわけで。

たかが土って思いがちだけど
生きものや水とか
絶妙な条件が延々と継続した結果なわけで
これは奇跡的に凄いことだな。

アメリカやオーストラリアの奥地の荒野や
エジプトの砂漠には
水が無いから生物がいなくて
だからこそ砂しか無いわけで
土があるのは決して当たり前じゃない。

そう考えると
日本人というのは奇跡的な環境に恵まれているわけだけど
それが当たり前になっちゃっていて
多くの人はありがたみなんて感じてないのだけど
もしこれを
奇跡的にありがたい環境だぞ
と自覚したら、何かいいことあるのかもしれないな。

今はコロナで大変なことになってるけど
昔から疫病ってのは
いわゆる発展した地域から拡大していくわけで
だからこそ未開の地に住む原住民が
先進国の開拓者に接触すると
疫病で致命的なことになったりして
これは一体何なのだ?

自然から生活を切り離した人類に対するしっぺ返し
…にしては、死んでしまうのは原住民の側なわけで
文化的な生活をしている側は
新たな病に遭遇して、免疫を手に入れて
より高度な文明を築いていって
最終的にはどうなっちゃうのだろうか。
このままどこまでも行けるとは思えないな。

とか色々考えていたのですが
湯あたりしそうだったので、この辺でお終いです。

ああ、温泉行きたいなぁ。