こうすればうまくいく 8

どうすればうまくいくか?
難しくて大事なことです。

まだまだ分からないことも多いわけで、日々気づくこともあります。

どうしたらうまくいののだろう?

このテーマで考えているとき、見ている範囲はどこなのだろう?
そんなことを考えているとき、気付いたことがあります。

「どうすれば?」と考えるとき、それを誰がするのかというと、もちろん自分なわけで、ついつい自分の視座で自分の領域だけを見てしまうのですが、そのやることは何かのためにあるわけです。
それは自分以外です。

「うまくいく」というのも、いったい何をもって「うまくいった」とするのか。
誰の役にも立たない自分だけが満足するような結果では、心の底から「うまくいった!」なんてことにはならないはずです。

自分の外の領域に「何のために」、つまり目的があるはずなのに、自分の領域で考えてしまう。
一所懸命考えて行動したところで、それでは誰のためにもなっていないわけです。

そんなことに、ふと気づいて、「いかんいかん!」となっても、ついつい元の状態に引き戻されていたりして。

その辺のことは、これから考えて、試して、まとめていかんとなぁ、と思っています。
やはり人生修行ですね。

証拠あんのか? さぁね、やってみなけりゃわかんないね

子供の頃、友達が何か言うと
「ホントか、それ? しょーこは?しょーこは??」
そんなこと言いませんでしたか?

大学って、いわゆるアカデミックな組織なのですが、やはり言いますね。
「エビデンスは?」

はっきり言わせてもらいますが、嫌いなんですよ。そういうの。
必要性や重要性は分かるんですけどね。

ちなみに、「アカデミック」を辞書で引くと…
学究的という本来の意味はもちろん、「非実際的…」とか、「権威をかさに着て格式ばった理屈をこねる…」のような解説も見受けられます。
うんうん、その気持ちは良く分かるぞ。

そうそう、なんで「しょーこは?」とか「エビデンスは?」とかが嫌いなのか。

だってね、証拠があることしかできなかったら、チャレンジなんてできないでしょう。

「そんなのやらなくたって分かるよ」
というようなことに付き合うより
「そんなのやってみないと分かんないだろ」
の方が面白いですから。

従順か…面白くはなさそうだね

よくよく考えてみれば…

「言われたことをやる」
そういう学生、一昔前は「従順な学生」と言われて重宝されていたはずです。
多くがそれを望んでいたのではないでしょうか。
まぁ、そういう時代でしたからね。

で、今はそうではなくなってしまった。
そんなことやっていたら、AIに仕事を奪われてしまう…みたいな感じになってきましたね。

いや、どうかな。
今でも多くの先生は従順な学生を望んでいるかもしれないし、多くの学生は従順であろうとしている気もしますね。

まぁ、何事にも慣性力みたいなものがあって、いつの間にか前の世代のやり方に何の疑いもなく追従していたりするものですよね。
習慣ってそんなものでしょう。

一般的なビジネスであれば、収益上げないと継続ができないので、そのために競争力とか差別化とか、チャレンジしたりするのでしょうけど…

興味深いことに、学校は逆です。
変えることが怖いみたい。
「そんなことやって、もし見込みと外れたらどうするんだ?うまく行く証拠あんのか?」
というのが常道みたいな感じがありませんか?
これはまぁ、私の思い込みによるイメージであって、実際にそんなことを言われたわけではありませんが。
でも、単なる偏見かもしれませんけど、先生だって親御さんだって言いそうじゃありませんか?

まぁ、夢工房にいる連中の家族からは、そんな意見が出るようには思えませんが。

ここまで書いて思ったのですが、なんだかんだ言いながら、昔から言われてもいないことに夢中になる連中ってのは一定数いたわけで、今になってみれば、そういう連中は今でも楽しそうに仕事をしていたりするわけです。