成果かプロセスか

皆成功したいのですよね。
うまくいくと良いですね。

では、一体どうしたら良いのか?
うまくいくってのは、一体何なのでしょうね?
私は仕事柄、そんなことばかり考えています。

ゴールを目指すのだから、欲しいのは結果だよなぁ

なんて思うのですが、どうもその辺がピンとこないというか、違和感を感じていたのです。

ゴールとか結果とか、そこに価値を見出すのは分かるけど、結果や成果は他に手渡すべきものだよな、と。
そもそも結果や成果は手渡すからこそ価値があるわけで、手渡してしまったら、それで役目は終わり。他に手渡すべきものは手元に残ってしまったら、それは不良在庫。
自分の手には残らない。

この、他に渡してしまう結果や成果、「もの」に固執しすぎてないか?
なんてことを思い始めました。

教育とか言うなら、重要なのはむしろプロセスであって、良いプロセスを構成できれば良い成果が出るわけだから、大事なのはプロセスの中にあって、そのプロセスを構成する「何か」にこそ価値があるのではないかと思うのです。

プロセスから得られるもの、分かることがあって、それこそが価値の源泉だぞ。
今後、その辺を掘ってみましょう。

実はすでに変わりつつあるのかも

昨日はこんな記事を書きましたが、実はもうすでに変わり始めているかも、というお話しです。

システムの大枠は、そう簡単には変わりません。しかし、全く変わらないかというとそんなことはないと思っています。

というのも、別に大枠が一気変わる必要もないわけで、小さな組織単位でできる範囲で、というレベルであれば、以外と多くの人が色々試しているはずだ、と思います。
だってそんなのは、我々が夢工房という小さな単位で試すことも可能ですし、現に日々試行錯誤しています。

そう、未来における事象は、今まで我々が経験してきたものと同様である必要はないのです。
というか、同じであってはなりません。
未来は過去と違うのですから。
特に我々が生きるこれからの未来は決定的に違います。

なので、既存の形態などに、いかにとらわれないかがカギになるでしょう。

例えば、教育について言うなら…

教育の変化は、まず国が…というアプローチでなくても良いと思います。
国のオーダーに従う必要なんてそもそも無いでしょう。そんなをの待っている暇があるのでしょうか。
ただし、国益に背く方向性などは論外でしょうが。

それこそ学校単位で変化しなくても良いとも思います。
教育の「場」としては学校を利用するのが便利です。色んな既存のリソースを使えますからね。
でも、学びの単位というか、形式としては、既存の授業の形にとらわれなくても良いと思います。
むしろ、既存の枠による制限をいかに外すかが課題ではないでしょうか。

要は、組織とか形式とか、そういった形からのアプローチではなく、必要な「もの」とか「こと」とか経験とか、そういった方向からのアプローチではどうかと思うのです。

あらかじめ決められたことをやらせる
そんな手法をいつまでも全体に適用し続けるのは限界ではないかと思います。

仕事をする上で大事なこと ~頼まれた仕事は断らない

仕事をする上で大事なことは、それはもう色々あるでしょう。

そもそも仕事の目的は何なのだ?というのも重要なのですけど、今回は一つに絞っていってみましょう。

お師匠様の佐野先生のポリシーの一つに
「頼まれた仕事は断らない」
というのがあります。

これは見事に教え子達に引き継がれているようで、彼らもうまくいっています。
この解説をしてみますね。

仕事を頼まれる時、当然それは他人から頼まれるわけで、仕事の成果は依頼者のためです。

これ、当たり前で、実に基本的に重要なことです。
「仕事は他のため」です。
にもかかわらず、多くはそれを忘れていたりします。

そして、多くは「選り好み」をしたり、労力に見合った見返りがあるかとか、リスクの大きさとかを見積もって、自分が得をすることを考え始めます。

これ、ダメです。相手が得するのが徳ですから、自分が得をすることを考え始めたら「悪」の領域に突入していきます。
カントの哲学参照

頼まれた仕事を選り好みせずに受けると、何が起きるか?

断らないでやれば、パフォーマンスが向上します。
受けた仕事の内容がどうであれ、自力で面白くしていけば、主体性とか創造性が養われるし、これまたパフォーマンスが向上します。
何より断らずに受ければ、相手は喜ぶでしょう。

安請け合いして失敗したらどうすんだって?
ベストを尽くしてやってみて、ダメならそりゃぁしょうがないでしょう。
あと、選り好みして断ったら、その後のチャンスは来ないと思いましょう。

とまぁ、偉そうなことを書いてみました。
で、自分はどうなんだ?と言われると困っちゃうのですが、やはり理想が無いとね。
日々修行ですよ。