パラオ3日目

3日もいる実感はありません。そして、大晦日の実感は全く無し。
そんな中、今日は朝から激戦地、ペリリュー島の戦跡巡りツアーです。実はこれが今回のメインと言っても良いわけで、慰霊の旅だったわけです。

船でコロールを出て、1時間ほどかけてペリリューへ。

上陸後、最初に立ち寄ったのは小さな博物館。かなりの数の遺物が収蔵・展示されています。
が、この後のジャングルや壕の探索では、当たり前のように遺物が散乱していました。

続いて燃料保管庫。米軍艦からの艦砲射撃で倒壊しなかったほどの強固な作り。
日本軍放棄後は、米軍の野戦病院として利用されたそうです。

島内はマイクロバスで移動。
ごく短いメインストリートには、こんな感じで民家と少しの宿、一軒のスーパーがあったりします。

大戦中に日本軍が作り、アメリカ軍が日本侵攻の足がかりとして奪うための戦いがパラオ攻略戦だそうです。
その滑走路は、米軍が中国の侵攻に備えて延伸整備中。

続いて司令部跡。
爆撃によって破壊されたものの、強固な作りのために完全倒壊はせず。
近年では、破壊的な大型台風から地元民が避難するシェルターとして利用されたそうです。
80年経った今でも、それほどの信頼性があるのです。
とはいえ、現在は大木を含めた植物が生い茂り、ゆくゆくは崩壊してしまうだろうとのこと。

破壊された日本陸軍の軽戦車。まだ島内のどこかに7両が埋まっているそうです。

朽ち果てた零戦。

コックピット部は原形をとどめています。

上皇、上皇后両陛下が御在位中、慰霊に訪れた際の、お休み所。
今も綺麗に保たれており、ご訪問時の写真が展示されています。

天皇陛下慰霊訪問の記念公演。
この記念碑には、色々な思いが込められた造りになっています。

その後は、米軍が最初に上陸した浜に行ったり…

正直、こういうのは写真だけを見てもどうということはないでしょうけど、ガイドさんによる日米両軍の作戦と結果に関する説明が詳しくて、それがあれば景色も違って見えます。

これはアメリカの戦車にあらず、水陸両用の物資輸送車。大きいです。

使われずに残った日本軍の大砲を見たり

ペリリュー神社に参拝して

そこかしこにある壕を見たり入ったり

それにしても、この鬱蒼としたジャングルが、戦いによって一本の木を残してハゲ山状態になったなんて信じられません。
そして80年も経つた今では、そこらじゅうに大木が生えてジャングルです。

歩いていると…榴弾の発射筒?

砲弾が転がっていたり

島を後にしました。
船の移動も含めてトータルで5、6時間ほどでしょうか。
充実した見学で、大変勉強になりました。
来られて本当に良かった。

激戦の末に散った、日米両軍の皆様のご冥福をお祈りいたします。

帰りにはスコールに遭遇。大きい虹が見られました。

その後はレストランでパラオ最後の晩餐。

光るメニュー!

帰りにホテル一階のスーパーで買い物。トーフがある!
画像の右上は梅干しが!
どんだけ日本食好きなのだパラオ人!

スーパードライ山積み!

というわけで、明日は午後の便でパラオを離れて台湾に帰ります。

そしてパラオ

今回、成田からのフライトでは、最終目的地がパラオだったので、チェックインバゲージは預けっぱなしで、1泊分の着替えのみを持って台湾の一夜を過ごしていました。中継地到着後、24時間以内のフライトであれば、あくまでもトランジットなのだそうです。

6:30にホテルで朝食をとったらUberで空港へ。

出発は第1ターミナルのゲートA2。ターミナルのずっと端の方で、結構歩きます。桃園空港は思いのほか広いです。

そして、9:15発のチャイナエアラインでパラオへ。

今まで南の島なんて種子島と沖縄くらいしか行ったことがなかったのですが…珊瑚礁が見えるとハッとしますね。おお、すげぇ!って感じ。きっと画像では伝わらないでしょうけど。

14時過ぎに空港到着。
気温は30度。日本との時差なし。

イミグレーションの列を仕切るテープに日の丸が…

レンタカーを借りました。トヨタのヴィッツ、右ハンドルです。そして道路は右側通行。

レンタカー、日本のETC車載器はしゃべるし、ナビは四日市まで案内しようとしてます。
こりゃご機嫌ですね。

まずは、2件の博物館をハシゴ。
パラオの文化を学びましょう。
博物館でも店舗でも、日本人と分かると「こんにちは」と「ありがとう」と言ってくれます。

昔のパラオの家です。

大東亜戦争の遺物。

その後は宿にチェックイン。
宿の部屋は、二階なのに3103室。

そして宿の一階はスーパーなのでした。
なんでもあります。日本のお菓子はもちろん…

…小倉あん?

サッポロ一番!

まだまだ山ほどあるけど、キリがないのでこの辺で。

明日はどうしようかな。
とりあえず寝ます。