価値の変容と技術者教育の今後

やはり世の中の価値観が変わってきていることを感じます。

以前は「合っていること」
つまり「正しい答え」に価値がある時代だった気がします。

これは時が経って
次の時代に変わったからこそ感じられることだと思います。

インターネットの登場と発達によって、誰もがあらゆる情報に簡単にアクセスできるようになったために、それらの情報の価値が低下して、労せずに情報を手に入れることができるようになったためでしょう。

さらに今後、AIの開発が進んでいけば、それはますます加速して、より簡単に「答え」を知ることができるようになります。

なので情報や理論の価値は収縮していって、単に「正しい答えを知っている」だけでは価値にならない時代に突入していくのでしょう。

ということは、今のスタイルの学校教育の限界が来てしまう。
「正しい答えを覚えさせる」教育が中心ですから。
少子高齢化や二極化がそれを加速させるかもしれません。

一応言っておきますが、正しい答えを知っていなくても良いということではありませんよ。

ちょっと極端な例かもしれませんが、「正しい答え」のような理屈だけでは子供は増えなかったし、自殺者も減らなかった。
誰だって理屈の上では、子供が増えなければ国の未来が危ういとか、自殺は良くないなんてことは分かりきっているはずです。
でも、どうにもなりませんでした。論理だけでは解決できなかったということです。

もちろんこれらには他にも色々な要因があるので、こんな風に言ってしまうのは乱暴なのでしょうけど。
でも、この辺を考えてみるとやはり心の問題なのだろうな、と思うのです。
これからは心の時代だぞ、と。

私の職場では、技術者を育成するための教育をしていますので、教えるのは技術的な理論が中心です。

その理論は何に必要なのかというと、エンジニアリングをするためです。

エンジニアリングは何のためにするかというと、収益を上げて経済を回すためですが、端的に言ってしまうと、お客さんに買ってもらえる商品を作るためです。

なぜお客さんが商品を買ってくれるかというと…買いたいからです。
買いたくなったからです。
理屈では無く、心の問題です。
「正解だから」買いたいわけではありません。

お客さんは、カタログのスペックや価格も気にしますが、数字だけでは買ってくれません。

「お!いいじゃん!」
て買ってくれるのですが、その心の動きは理論になりません。

もしそれが理論として成立するなら、商売人やエンジニアは「回答」に従って仕事をすれば済むのでしょうけど、そうはなりません。

また、エンジニアが良い仕事をするにはパッションが必要ですが、それが分かっていても簡単にはいきません。
「こうすればパッションを持てるよ」なんて答えもありませんし、あっても簡単には従えません。

単にものを作るための知識とか情報は、今後ますます容易に手に入るようになるでしょうし、ものを作るための技法は容易化する可能性があります。3Dプリンターのように。

さて、では今後は大学で何を教えるべきなのでしょう?
というのは風呂敷を広げすぎかもしれないので、今後の夢工房はどうあるべきなのでしょう?
にしておきましょうか。

人の心という厄介なものと、何のために何をどのように作るべきなのか、そういうのを学生と一緒に考えながらチャレンジしていく
そんなところが大まかな内容になるのでしょうね。まぁ、今と変わらないのですが。
これは今後整理して、分かりやすくまとめていく必要がありますね。

最終的に収束すべきところは「実学尊重」と「技術は人なり」
これは変わらないのですけどね。

形式知と実践知

日本で「ものづくり」の重要性が叫ばれていたのはいつ頃だったでしょう。
確か20年くらい前だったかな?
その重要性は今も変わらないんですけどね。

なぜ、ものづくりが重要なのでしょう。

そもそも、日本は資源を産出できないので、輸入した資源を加工して、それを海外に売ることによって…と言うのは当たり前の話なのですが。

そんな日本は、優秀なエンジニアがたくさん必要なわけです。
そのための教育が学校で行われているわけですが、その内容は、教室で伝授される知識が中心で、その知識があれば良い開発ができるかというと、そういうわけにはいきません。

文章や口頭で伝達できる知識を形式知、やらないと分からない知識を実践知(暗黙知)と言いますが、実践知は言葉や文章ではなかなか伝わらないのです。

よく自転車の運転を例にとって説明されたりしますね。
本で運転の仕方を勉強しても、実際に乗れるようになるわけではないと。
つまり実践知は教科書にできない。

「溶接」という作業を例に取りましょう。
製品の製造には良く登場する作業です。
ですので、溶接を必要とする製品の設計をする場合、これを分かっていないと良い設計ができないのは当然です。

授業で溶接についての知識を習ったとしましょう。
それで溶接ができるようになるかというと、そんなことはありませんね。

運が良ければ溶接の実習の授業も受けられるかもしれません。
で、多少の溶接ができるようになると。
でも、それだけで信頼性が高い美しい溶接ができるかというとそんなことはありません。
やはりやらないと分からないことは多いのです。
そもそも「美しい加工」なんて概念は普通の学校では教えませんけどね。

大きな構造体を溶接すると何が起きるかとか、逆に細かい物を溶接すると何が起きるとか、肉厚や材質の違いによってどうしたら良いのかとか、力を加えると何が起きるかとか…実践的な内容はやってみないと分かりません。

もちろん知識を知っているのは大事なことですが、「知っている」と「できる」は違います。やったことがある人じゃないと分からないことは山ほどあります。
というか、世の中そんなことばかりです。

将来開発の仕事をするなら、実践的な知識を持っていることは非常に重要なことです。
会社に入って設計の部署に配属されてから、それらを学ぶにしても限度があります。
まぁ、大抵は無理ではないかな。

模擬惑星探査機やレーシングカーのつくりかたなどは教科書で学べるものではありません。
小さいながらもそれらを作って性能を出すとなると、自ら調べて、考えて、作って、試して…あげくは海外に行って大会に参加。
それはもう凄い量の実践知が手に入るわけです。

「格好いい」「美しい」「凄い」のためには何が必要かということを学生のうちから知っておいても良いのではないでしょうか。

我が東京電機大学が大事にしている「実学尊重」、これは何物にも代えがたい強みだと思っています。