天皇誕生日にて

今日は天皇誕生日です。
第126代の今上天皇陛下のお誕生日ですね。
陛下のお誕生日にお祝い申し上げます。

私は、20年くらい前まで
日本は世界で最も長く続いている国家である
ということすら知りませんでした。

そんなの常識なんだから知っとけ!
という声が聞こえてきそうですね。
お恥ずかしい。

で、自分なりに色々調べるようになったんですが
それにはきっかけがあります。

一つは
Formula SAEで海外大会にチャレンジする学生達の
面倒を見るようになったことですね。
強豪チームのまねごとをしても勝てないと思ったので
日本ならではの強みを見いださないとダメだな
と思ったこと。

そういうことを考えていくと
日本の過去に着目するしかありません。
日本人は今まで何を考えて何をやってきたのか
そこにしかヒントは無いと思ったのです。

もう一つは
オーストラリアに遠征に行ったときに
泊まった宿のオヤジさんに
「日本のエンペラーのお世継ぎは大丈夫なのか?」
と聞かれたことです。

オーストラリアはイギリス連邦の一国なので
エリザベス二世女王が国王陛下なのですね。
なのでオヤジさんは日本の皇室が気になっていたようです。

でも私は答えに困りました。
それまで皇室のことなんて真面目に考えたことがなかったからです。

そのとき
天皇陛下のことを聞かれて答えられないって
国民として問題あるのではなかろうか
こいつは恥ずかしいことだ
と思ったのです。

なので
「日本の始まりってどうだったんだろう?」
「天皇陛下は何をされているんだろう?」
と気になってきて
古事記を読むところから始まって
天皇陛下の侍従をされていた方の本を読んだり
色々調べてみたわけです。

そうしたら
紀元前660年の神武天皇即位から始まっていて
建国の神話の時代から現在の天皇陛下まで連綿と 繋がっている唯一の国家
なんて事が分かってきて
年甲斐も無く
これは凄いことだぞ!
とエキサイトしてしまいましたよ。

だってね
2,600年以上も国が続いていて
それが世界的にぶっちぎりにトップなわけですよ。
ちなみに
2位はデンマークの1,100年で
3位はイギリスの800年だそうです。

ここに強みが隠されていないわけがありませんよ!

ただしそれは
簡単に数字にしたり文字にしたりして理解できない世界です。

こんなに長いこと一つの国として続いてきたのは
世界的に見たらありえないことですが
我々にとっては当たり前で自然なことです。

今を生きる我々にとっては
あまりに当たり前なので
なぜそうなったかを
そもそも意識することはもちろん
強みとして利用するということは難しい。

でも簡単に分かることもあります。
2,600年以上続いているのは
天皇という存在です。

国民だけの力で
これだけ長いことまとまってやってこられたなんて
思い上がってはいけない。
島国である地の利などももちろんあるでしょうが
それだけでは周辺のアジア諸国と異なる発展をしてきた理由にならないでしょう。
島国なんて世界中にたくさんあるわけだし。

そもそも国としてまとまるためには
その中心となる存在が必要です。

それは天皇以外にはありえない。
と思っています。
もし他にもあるならぜひ教えて欲しい。

何かしらの利害にしたがって動く政治家のような立場の人間や
一般国民では中心になり得ないでしょう。

一般的に「王」は国民に対してどのような態度を取るのでしょう。
我々は天皇陛下しか知らないので
正直よく分かりませんが
多くの国は「上から支配してきた」のではないでしょうか。

でも
日本の天皇は建国以来、毎日
国民の安寧と世界平和のために祈ってくださる
それがのお勤めだそうです。
「上から」というより
「中心」という感じではないでしょうか。
「力による支配」というより
「国民がまとまってきた」のではないでしょうか。

我々日本人にとって
皇室 天皇は
当たり前の存在なのかもしれません。

その当たり前のようにあった
安心して頑張れる環境が
心のよりどころがあったから
今まで続いてこられたのではないでしょうか。

そのありがたさ
ありがたいと思う気持ちは
我々の日々の行いに必ず活かせるはずです。
(漢字では「有り難い」
ありえないほどレアなことという意味ですね)

これ
考えてみれば簡単で当然の話です。

対象が誰であれ何であれ
感謝の気持ちが無くなったら
心が荒んできて良い仕事なんてできないどころか
ちょっとした不満に敏感に反応して
怒りや恐れの中で生活することになるでしょう。
まさに最近はそういう傾向になりつつある気がします。

「金払ってんだから~なんて当然だろ!」
みたいなことを言い始めて
皆が相手のことを考えずに
自分の要求や権利ばかりを前面に押し出すようになったら
世の中ヤバイです。
気持ちは分かりますが
それではものごとは良くならない。

というわけで
皆が安心して頑張るための「中心」が
当たり前に存在するなんて凄いことだったんですね。
ということに気付いてきました。

こういうことを事実として受け入れて
強みとして活用していくかどうかは我々次第。

最近は御朱印ブームで
多くの人が神社に足を運んでいるようです。
我が国が良い方向に進み始める気がしています。

限界にぶち当たれ

普通にバイクに乗っているなら
特に限界を追求する必要はないですよね。
そんなことしてると
「何をやっとるんだね、チミは」
ってなことになっちゃうんですが
ことレースとなると話は別で
限界を知らないと良い成績は得られません。

当然ですが
限界に達したことがなければ
最大のパフォーマンスは出せません。
当たり前ですが
最大のパフォーマンスは限界値ですもんね。

バイクのレースで言ったら
転ぶところまでやらないと
どうなったら転ぶか分からない
それが分からなけりゃ
最大のパフォーマンスは得られない
ということです。

なので
転ぶ経験が必要です。
わざと転ぶというのとは
ちょっとニュアンスが違いますが。

なので
ロードレースをやっている人なんかは
未舗装のフラットトラックとかモトクロスなど
滑りやすいコンディションで
限界域のコントロールを練習したりしますね。

どこが限界か分からないと困っちゃうのは
何もレースの世界だけではなく
他の多くのことも共通です。

失敗したことがなければ
どこまでやれるか分かりません。

往々にして
そういう状態だと楽しくなってきません。

楽しくないと一所懸命やらない
もちろんそれは限界からはほど遠い
となると
どこまでやれるか分からない
と、振り出しに戻ってループする
ならまだ良いけど
大抵は途中でやめる。
当然です。

恐らくそうなってしまう原点は
失敗したくない
ですよね。

レーシングカーを作ってる学生を見ていると
よく分かります。

最初に
レーシングカーを作るぞ!
とチャレンジすることを決めるのはOKです。
その決断には相応の勇気が必要だと思います。

でもその後に選択肢が現れる
というか
姿勢が試されます。

勝ちたい!
or
失敗したくない!

この2つ
あまり違いが無いように見えますか?
これが結構違うんですよ。

分かりやすい例でいくと

ある部品を設計していたとします。
レーシングカーは軽さが命です。

「勝ちたい!」
で設計すると
強度ギリギリの軽い部品が設計できるかもしれません
が、それはテストで壊れる可能性が高い。

でも、壊れたら必要な強度を与えて
再設計すれば良いんです。

「失敗したくない!」
で設計すると
往々にして強度に余裕を持った部品ができます。
もちろんテストでも問題が起きない可能性が高い。

でも、その部品をさらに軽くして
性能を上げるのは難しいのです。

一度余裕を持って設計してしまうと
そこから攻めるのは勇気が必要です。
それに何より面倒くさい。
これ、強敵です。
特に
攻める勇気が無くて面倒くさがりな人には。

なんかやってることが矛盾してるように見えますよね。
でも、こういうケースは良くあります。

正直なところ
そうなっちゃうのも仕方ないとも思います。

だってね
小さい頃から
「失敗しないように!」
って散々言われて育ってくるわけでしょう?
親や先生は当然のこと
メディアはすぐに失敗した人を吊し上げるし。
「失敗は悪だ」みたいに。
そうなちゃってもしょうがないですよ。

なので
良い子ほど
チャレンジして失敗する経験ができないので
良い仕事ができない
ということになるケースが多いのです。
なんと皮肉な。

超元気な学生だって
最後に何を言うかと思ったら
「~が起きないように!」
とか失敗しないことを狙ってたりしますからね。

さて
ここで冒頭に戻りましょう。

転ばないと限界が分からないんですよ。
転ばないようにやるんじゃなくて
転ぶまでやってみれば良いんです。

学生のうちにその辺を意識して
チャレンジする経験ができたら良いですね
そのチャンスがあったら
ぜひ掴んでほしいものです。

あとね
失敗が怖い人は
失敗にフォーカスしているから失敗しやすい
っていうのもあります。

誰しも過去の経験のうち
失敗の方が多かったりするし
チャレンジすれば、いずれは失敗はするので
失敗が怖い人は
「どうせうまくいかない」
が説得力あるリアルな経験として記憶されて
それが主役になっています。

もちろん他人にも
「どうせうまくいかないからやめておけ」
と言うでしょうね。
本気で。
だってリアルな経験の記憶があるから。

恐れずにチャレンジするというのは
恐れてやらない者から見たら
ただのバカなのかもしれないけど
だったらバカになるしかない。

だってそうしないと限界分からないじゃん。

サーキットで限界探って転んじゃうのを
レースに興味が無い人から見たら
ただのバカに見えるのかもしれない。

結局は
超シンプルなんですよ。

成功することを夢見てやるか
失敗を心配するか
その2つしかなくて
どっちが視野に入っているかが重要。

成功するためにチャレンジする人は
どうしたら成功するかを見ているので
成功する可能性が高い
というだけの話です。

失敗しても諦めずに続けるには
好きなことをやるとか
やっていることを好きになるとか
その先にあることを想像するとか
諦めない理由を作ることが大事かもしれません。

そういうお前は成功してんのかって?

いやいや、まだ成功してないと思ってます。

変われるかどうかがカギなのよ

向上心って大事ですよね。
何かを今より良くしたい
ってね。

でも
なかなかうまくいかないことも多いですよね。

当たり前ですが
現状より良くなる
ってのは
現状ではなくなる
ってことです。
今のままのやり方では
結果は変わらないのですから当然です。

なので
うまくいかないときは
現状から変われていないことが原因です。
もちろん自分がね。

これ、言うのは簡単ですが
なかなか手強い。

自分が自分のことを一番よく分かっていて
自分のことは自分でできる
と思いがちですが
なかなか思い通りにいかなかったりします。

意外なことですが
成功を望む人でさえ変わりたくない
と思っている場合が多いのです。

現状が成功していないのであれば
現状を変えなければいけないのにね。

だって
現状は成功していないわけでしょう?
変わらなければいけないのは当たり前ではないですか。

でも、ついつい
現状のままで良くならないか
なんて思ってしまう。

いや
思ってすらいないのに
自動的にそうなってしまう
といった方が良いかもしれません。

実はこれ
生存本能が原因にあるそうです。

今、自分が生きているのはなぜか?
それは昨日の行動があったから。

であれば、昨日と同じことを繰り返せば
生き残ってける可能性が高い
ということです。

なので
考え無しで自動的に同じことを実行してしまう。

「癖」ってそういうことでしょう?
凄いシステムになってますね。
生き残るためのことを
自動的に繰り返しちゃうんですよ。

「あー!自分は成功したいのに
何で同じこと繰り返しちゃうんだろう!」

と気付ける人はまだ幸せで
それをなんとかできるチャンスがあります。
だって気付いているんだから。

あとは色々と多くを試して
これだ!
と思ったら
「恥の上塗り」
じゃなくて
考えて 行動して 繰り返す
「癖の上書き」
をすれば良いのですよ。

すぐには結果は表れないかもしれませんが
変わる面白さを実感できれば色々うまくいくと思いますよ。

と、こういうことを
バイクのレースやってるときに考えたりしていました。

なかなかラップタイムが良くならない時って
そもそもダメなやり方してるのに
それをもっと頑張ることによって
何とかしようとしていることがあるんです。

そういうとき
今までと違うアプローチで何かを試すって
すごく勇気が要るんですよね。

物事の本質って
結構共通していて面白いですね。

やはり「技術は人なり」だ

お付き合いのある
とある会社の社長さんが
我が夢工房に来てくれました。
F1とかMotoGPなどの
トップカテゴリーのマシンの部品はもちろん
ジェットエンジンとかロケットとか
とにかく最先端の部品を
世界最高の精度と品質で作る
凄い会社の社長さんです。

世界中の(「日本中の」ではありません)トップカテゴリーの
ほとんどのチームがその会社に部品を発注しているので
どのチームが勝っても嬉しいという凄い仕事をしてます。

レーシングマシンの仕事しかしていないわけでないけど
こんな表現ならレベルの高さが分かりやすいのではないかな。

本学の卒業生もその会社で良い仕事をしてますし
仕事をオーダーしているチーム側の設計者も
私の研究室の卒業生だったりします。

嬉しいやらありがたいやら。

今まで何度も工場を見せてもらって
話を聞かせてもらっていますが
そのたびにビックリしたり納得したり。

話を伺っていて
エンジンからEVにシフトするとか
自動車そのものの形態が変わっちゃうとか
これから色んなことが大きく変わるだろうけど
高いレベルにチャレンジできる組織は生き残っていくんだな
と感じました。

「これからはEVだ」
と聞くとすぐ動いちゃったり
フラフラすると生き残っていけないみたいですね。
トレンドに追従したくなる気持ちは分からなくはないけど。

チャレンジして強みを作って磨いていく
本筋はこれだな。

やっぱり「人」だな。
と思いました。

チャレンジする人が
高い技術を必要とする
高い技術を生み出す

「技術は人なり」
ですよ。

結局は本人次第なんだけど
背中を押すことはできるはず。

夢工房では
せめて原石を割って
宝石が見えるくらいのところまでは持っていきたいものです。

Hの話 後編

前回の続きです。

さて
この水素燃料電池
もちろん水素を燃料としているわけですが
今回は
この水素ってヤツが重要なのですよ
というお話です。
いやー、前置きが長かった!

燃料の分子構造式はこんな風になっています。
おお!なんか授業みたい!

色々並べてみました。

一番上の水素分子以外
水素(H)と炭素(C)でできてます。
こういう炭素と水素でできた燃料を炭化水素といいます。
ハイドロカーボンってヤツですね。

燃料を燃やすってことは
大気中の酸素(O)と結合するってことです。
すると燃料は
水(H2O)と二酸化炭素(CO2)になります。
ちなみに燃料電池も水素と酸素が反応して水になります。

Hがいっぱい付いている燃料が調子良いヤツです。
でも
Cがいっぱい付いてるので
燃やすとCO2がいっぱい出てしまいます。
おお、なんてことでしょう!

色々あるうち
水素だけCが無いですよね。
当たり前ですが、これを使えばCO2が出ないわけです。

水素を燃料としてエンジンで燃やすと
結構クリーンだと思いますが
熱効率が問題になってくるでしょう。
恐らく効率は40%以下になっちゃうんじゃないかな。
燃焼によって得たエネルギーの半分以上は
熱として捨ててしまうことになります。
あとは
高温の燃焼によって大気の主成分である窒素(N)と反応して
有害な窒素酸化物(NOX)が出ちゃったりするとも思います。

結局何が言いたいのかというと

結局、Hが欲しいのだ!

ということです。
乗りものも生きものも。

生きものも!?

そうです。
人間の燃料である食べ物に含まれているタンパク質
これはアミノ酸で構成されていて
その構造を見ると多くの水素を含んでいます。
もちろん水素だけではないので
水素だけ摂取してれば良いってわけではありませんが。

こういう話をすると
日本政府が打ち出した
「これからは水素社会だよ」
ってのも合点がいきますね。

そうか!水素か!
じゃ、水素ガンガンゲットしよう!
と思っても
水素は天然資源としては存在しないのです。
あら残念。

じゃ、水素バンバン作ろう!!

それがすんなりできればハッピーなのですが
色々と課題はあります。

製鉄など、工場で何かを作るときの
副産物として得られる場合があるので
それを利用するってのはアリです。
でも、それで多くのクルマを走らせるのは無理でしょう。
そもそも副産物の生産量は主生産物によるわけで
コントロールは難しい。

あとは皆さんご存じの水の電気分解ですね。
太陽光発電や風力発電などが
いわゆる再生可能なヤツで電気を起こすのが理想的です。

でも、再生可能なヤツは
天気が悪かったり風が吹かなかったりすることもあるので
常にゴキゲンなわけではありません。

ところで
発電機で電気を作って
その電気で水を電気分解して水素を作って
その水素を使って燃料電池で電気を作る
なんか変ですね。
こんなふうに変換が多いのは効率悪そうです。
でも再生可能な方法ならいっか!
ってなるかもしれません。

そもそも
電気エネルギーは高密度で貯めておけないので
水素を使うのですから
まぁしょうがない。

現在日本が頼っている
火力発電所の電力を使って電気分解…
なんてのはお勧めできません。
だってそもそも燃料燃やしちゃってるじゃん!

それに加えて火力発電では
燃料燃やす-蒸気起こす-タービン回すー発電機で発電
となるわけですが
熱エネルギー 運動エネルギー 電気エネルギー
というようにエネルギーの変換が複数起きていて
そのたびにロスが出ます。

ちなみに
火力発電所で使う燃料は
天然ガス、石油、石炭
といったところです。

原発の基本原理は火力発電所と同じで
熱源が化石燃料の燃焼ではなく
核分裂の時に出る熱という違いです。
発電時にCO2は出ません。
嫌われていますが
燃費は超良いです。

このように
どうやって水素を作るか
という問題が一つ。

では、水素ができたとします。
でも、単に水素で燃料タンクを満たしても
大したエネルギー量にはなりません。
なのでガンガンに圧縮して
いっぱい詰め込む必要があります。
それでやっとクルマが長距離走れるようになります。
もちろん圧縮するのにエネルギーが必要です。

もちろんタンクの安全面は重要なので
すごく丈夫で、さらに軽い方が良いので
金属や樹脂の容器をカーボンファイバーで覆ったりした構造です。
クルマに搭載した状態で燃やしてみたり
試験の時は銃をぶっ放して(銃弾は徹甲弾)
貫通しても良いけど破裂しちゃダメ
とか、すごい試験をします。

他にも色々とありますよ。

そんなもんで
高圧の水素を安全に貯めておくためのタンクはお高いとか
それを供給するためのインフラ(水素ステーション)もお高いとか
金属は水素を吸収するともろくなってしまうとか
水素は分子が小さいので物質を通り抜けてしまうとか
大気中に逃げた水素は成層圏を突き抜けて宇宙に逃げてしまうとか
まぁ大変。

こんなふうに書いてしまうと

水素ダメじゃん!

って見えますが
何ごともメリットとデメリットがあって
それらのトレードオフが必要なのです。
完璧な方法なんてありません。

ガソリンをはじめとする液体燃料は
「採掘」で入手ができて
エネルギー密度が高く
貯めたり移動したりのハンドリングがしやすい
まさに理想的な燃料ですが
反面
埋蔵量の限界とか
環境負荷とか
やはりデメリットがあるわけです。

これは水素はもちろん
原発や太陽光発電、風力発電でも同様です。
あらゆるものにメリットとデメリットがあります。

その時の状況に応じて
何を取るかが大事になるのでしょうね。

どうしてもデメリットを取りたくなければ
メリットもろとも捨て去るしかないでしょう。

先のことなんて
やってみなければ分からないことばかり。
勇気が必要ですね。

Hの話 前編

いきなり何を言うんだ?
と思ったでしょう(笑)

水素です。
よからぬ想像をしてしまったあなたの心は汚れています。
反省して修行しましょう。

ここに来て燃料電池自動車が盛り上がりを見せてきましたね。
今回はその辺の話をしてみましょう。

現行車で水素で走る車は
トヨタのミライとホンダのクラリティ
この2つはいずれも燃料電池で走るクルマです。

これらに搭載されている燃料電池は
燃料として搭載した水素と大気中の酸素を反応させて電気を取り出す装置です。
水素と酸素を供給すれば電気を取り出せる電池と思って良いです。
なので、燃料電池自動車もいわゆるEV(電気自動車)で
Fuel Cell Electric Vehicle:FCEVと呼びます。

自動車用の燃料電池は「単セル」と呼ばれる小さな単位で発電して
それを直列にたくさん繋いで必要な電圧を得るようになっています。
その集合体を燃料電池スタックと呼びます。
EVは数百ボルトの電圧で走るので
この単セルを、たーくさん繋ぐ必要があります。
燃料電池のセルは、繊細な構造をしています。
これをたくさん繋ぐので
信頼性とかコストが課題となっていました。

現状の一般的なEVは、外部からバッテリーに充電して走りますが
燃料電池の自動車は、燃料電池で発電した電気を
バッテリーに貯めて使うので
外部から充電する必要はありません。

外部からの充電が必要か不要かという違いはありますが
核心はそこではありません。

今回、トヨタが新しいミライのために
性能向上して汎用性のある燃料電池スタックを開発して採用したそうです。
航続距離が伸びてコストも下がっています。
これをトラックなど乗用車以外に流用することによって
色々なものの電力を得ることができるようになる
これが今回の話題の核心ではないでしょうか。

以前
電池はエネルギーがあまり入らない割には重いし大きい
という投稿をしました。
トラックなどの貨物自動車をEVとして走らせる場合
バッテリーを輸送しているのか荷物を輸送しているのか
分からないほど多くの(重い)電池が必要になるのです。
これがトラックのEV化に対する課題でした。

燃料電池ならこれを改善できる可能性があるということです。
もちろんガソリンや軽油などの液体燃料ほどのエネルギー密度は得られませんが
クリーンだし
航続距離が伸ばせるので
トラックのEV化には使えるだろうということです。

日本ではトヨタグループの日野自動車
ヨーロッパではダイムラーやボルボで結成されたトラック連合が
電池のみのEVトラックではなく燃料電池のトラックに目を付けています。

後編につづく

見たくないのに見えちゃう

人の五感は

視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚

の五つですが
「見える」っていうのは
情報を視覚として得ているときはもちろん
情報を認知している(分かっている)時も使いますよね。

設計をしていると
今現在手を付けている細部にフォーカスしすぎて
その周囲の環境とか
その部品の作り方や使われ方
部品の周辺が見えなくなったりすることがあります。

その部品は周辺のために必要なのに
肝心な周辺を考慮に入れない
ということが起きるのです。

木を見て森を見ず
ってことですね。

そして
形状としては成立してるんだけど…
強度的には成立してるんだけど…
作ることはできるんだけど…
なんてことになります。

かつては私も良くやりました。
コンピューターを使ったCADだと
細部をどんどん拡大して作業できるので
夢中になって作業して気付いたら
「いやいや、こんなに精密にしても作れんだろー」
とか
「こんなにこだわって形状作っても意味ないだろー」
とか
「部品単体は成立してるけど、全体としての機能がイマイチ」
みたいなことになってました。
こういうの、ビギナーは良くやります。

対象について考えるときの「広さ」が重要なんですが
集中すると視野が狭まっちゃうんですね。
別に本人はそうなることを希望しているわけではないのですけどね。

あとは
子供の頃
寝床に入って木目の天井板を見ていると
人の顔に見えてくる
なんて経験ありませんか?
「お化けがいるかもしれない」
なんて思って木目を見ると
それらしく見えてくるものです。
本人がそれを見たいと希望しているわけではないのに。

バイクでコーナーを曲がっているときにもあります。
旋回中に
「ヤバイ!曲がりきれないかも!」
って思うと、つい突っ込んで行ってしまいそうな先を見てしまう
そこから目を離せない。
そしてバイクはそこに向かってしまう。
そんなこと望んでないのに!

まだあります

日頃からイライラして
文句ばっかり言ってたりすると
ムカつく事態に遭遇する確率が上がります。

これは、視野に入るものごとのうち
ムカつく事象にフォーカスしやすい状態になっているからでしょう。
ハッピーなことも視野には入っているのでしょうが
ムカつく事象に敏感に反応してしまう。
するとムカつくリアクションが起きる。
そして
そんなことばかりが起きるように感じたりする。

望んでないのに見てしまう。
望んでいないものが見えてしまう。
望んでいないことが起きてしまう。

困ったものです。

これはなぜ起きるかというと
本能的なものだったり
深層心理によるものだったりでしょうね。

意識では決してそれを希望していませんが
深層心理がそれにフォーカスしてしまっているのでしょう。

なので
(深層心理が)望んでいるものが見えている
と言っても良いのかもしれません。

で、見えるものに対して行動が起きるので
(深層心理が)望んでいる通りのことが起きている
と言っても良いのかもしれません。

とするとコイツは
意識的に行動することを繰り返す
つまり癖(深層心理)の上書きをしてあげれば良いことが起きそうです。
「トレーニング」ってそういうことですよね。
そのうち自分が望むものが見えてくる…のですが
「私には見える!!」とか言って
危ない領域まで行かないようにしましょう(笑)

重要なことは
自分の行動を振り返って評価して
どうするか決めて
繰り返し行動する
ってとこでしょうか。

ただ、集中しちゃってると
自分の行動を振り返るポイントを作りにくいので
これも色々試して習慣をつくるしかないでしょうね。

習慣は運命を形作る一部ですから重要ですよ。

こういうのをうまいことやっていけば
色んなことがうまくいきそうですね。

価値ある人ってどんな人?

「世のため人のため」
「一日一善」
「人様から後ろ指を指されないように」
などなど
昔は世間とか他人にフォーカスした言葉をよく聞きました。

今はどうなんでしょう。
将来設計が云々とか
生涯年収がとか
学歴がどうのとか
何をやるにも自分のためです。
それを堂々と言える世の中ににもなってます。
もちろん、みんながみんなではないですが。

それの一体何が悪いんだ?

悪いかと言えば
もちろん法的には何ら問題ないですよね。
何の罪も犯していない。

しかしですよ
何でもかんでも私利私欲
そうするのは結構ですが
行動が私利私欲だと
それを外から見ていると何の価値もないですよね。

例えば
自分が何かを自分のためだけに得ることばかり
自分を守ることばかり
そればかり考えているとしましょう。

それを他人からはどう見えるでしょう。
「おー、いいねー!君にチャンスをあげちゃおう!」
なんてことにはならんですよね。
むしろあげたくないでしょう。

だって考えること行うこと
自分のためなんですから
周囲には全くメリット(価値)が無いわけです。
そこに何かを投入する理由はないでしょう。

なもんで
結局のところ
私利私欲の人が得られるものはたかがしれてる
ということになります。

私の周囲もそうでした。
凄く私欲が強くてパワフルな人
何人もいましたが
残念な結果に終わるケースが多いですね。
頭キレキレで能力高くても。
もったいないことです。

中には途中で方向転換して
うまくいく人もいますが
ごくごく少数です。

やはり
他人を利する考え方ができる人が成功してます。
そんなの当たり前なんですけどね。

でも、実行するには勇気が要ると思います。

他人の利益を考えた行動って
必ず自分に返ってくるのは当然。
まぁ、それを求めてちゃいけないんですが。

他の利益を考えて動ける人って
周囲から見たら
ありがたい人
ですもんね。

まさに「価値がある人」ってことです。
超シンプルですよね。

こういう理屈って
昔話にも入ってるし
偉人伝にも記されてるし
みんな当たり前に知っていることじゃないのかな。

時代とともに色々変わっていくけど
捨てたらいかんものもあるでしょう。

当たり前かもしれないけど
そんな基本的なところを考えて動ける
価値あるエンジニアの卵を育てたい。

私はまだまだ未熟で能力不足の修行僧なのですが
そんなことを理由にやらないって訳にはいきません。
どうせ人間は一生完璧になんてなりませんから。

心の時代がやってくる

いやね
別に
これからはスピリチュアルな世の中に突入するぞ!
とかいう話ではないですよ。
するかもしれませんが(笑)

今までの時代は
言ってみればテクノロジーの時代だった気がします。

産業革命以降が顕著ですが
新しい技術が次々に出てきて
その技術によって色々メリットがありました。

物質的に豊かになったのはもちろん
環境とか医療とかが進歩して
新生児の死亡率が下がって
寿命が延びて
人口が爆発的に増加して
生産人口が増えて
経済が成長して

という感じで
パワフルなループが回っていたんですね。

そんな中で我が日本国は
先進国とガチンコ勝負できるだけの軍事力を手に入れて
(もちろん戦争は良いことではありませんが
それだけの力を手に入れたのは事実です)
戦争でボロ負けしたにもかかわらず
高度経済成長を遂げて
一億総中流なんていう凄い状態になりました。
もちろん、その過程には色々と外的な要因とかもあったのでしょうが
そこは今回の本質ではありませんので置いておきます。

その後もバブルがはじけたり
色々あるわけですが
なんだかんだで日本は技術の国
ってことになってますね。

なので
みんなで技術を学べばハッピーに!!

本当はそんなことなくて
まず技術がそこにあったわけではなく
最初は誰かが何かを考えるところからスタートしていたはずですよね。
なので本当の根源にあったのは
熱意とか思考だったはずです。
知能やらの前に、心の部分が大事だったはずです。

その証拠に
松下幸之助さんや稲盛和夫さんは
皆さんご存じの通り
立派な考えを持って仕事をされて成功している。

今までの日本は
テクノロジーの威力があまりに強力だったので
まず技術ありき
のように感じているのではないでしょうか。

その結果
生活水準が高いにもかかわらず
幸福度は低い
なんてことになってます。

技術レベルは高いけど
心のレベルがなおざりになっちゃったんでしょうね。

本当に欲していないのに
外部から「技術」を突っ込まれれば
(いやいややらされる状態)
それなりのものは持っている状態にはなるかもしれませんが
それを駆動するための心が不十分な状態になります。
なので
せっかくの技術は有効に活用されない。

なんてもったいない!

高度経済成長までは
これでも良かったのかもしれません。
でも
そういう時代は終わってしまいました。

これからも技術は重要で
ますます生活における重要度は増してくるかもしれません。

技術の重要性は「あたりまえ」になってくるでしょうから
足りない「心」をどうやって成長させるか
これが重要性を増してくるでしょう。

心が成長すれば現状の技術に不足(ギャップ)が生じる
そのギャップを埋めようとする欲望がパワーの根源です。

たぶん
日本ってそうやって成長してきたのではないでしょうか。

これ、みんな気付いてるんでしょうけど。
今さらですが言ってみました。

学校は変われるか

世の中がコロナ禍を機に
大きく変わろうとしています。
というか
すでに変わりつつある。

ここで大変興味があるのは
果たして学校は変われるのか
変わるとしたら
いつ、何をきっかけにして変わるのか
ということです。

もちろん自分の職場だからというのもありますが
学校って、未来を作る人たちをつくるところですから
とても重要なのです。

科目が増えたり減ったりというのはこれまでもあったし
最近では授業がオンラインになる程度の変化はしていますが
基本的なやり方や評価方法などは
ほとんど変わっていないと思います。
恐らくここ100年以上変わっていないでしょう。

基本的に学生は
その昔ながらの評価のために学校に行ってます。
主体性がなかろうが
モラルが崩壊していようが
そんなことは重要ではない。

皆に同じことを覚えさせる
どのくらい正確に覚えているか確認する
教員は、それを数値化して評価する
それが現状やっていることです。

はっきり言って
正確に覚えていることに価値があるなら
なにも人じゃなくても
安いパソコン買ってきてやらせた方が良いでしょう。
検索だってネットでいくらでもできますし。
世の中がAI頼りの方向に変化していったら
どんどんそうなっていくでしょう。

学校の授業だって
見て、聞いて、覚える
とか
単に「知る」
が目的であれば
何も学校に行く必要は無いですね。
ネットで何とかなるレベルです。
きっとこれからは
そういう情報やツールが充実していくでしょう。

黒板を見て書き写すために
わざわざ学校に行くなんてのは終わっちゃうでしょうね。

すでにYouTubeなどでも
かなり有用な情報を得られるようになってきましたし。
インターネットを通じた情報伝達は
今後ますます発達するでしょう。
それを貯めたり取り出したりするのも
デジタルな世界なら容易です。

なのでこれからは
目に見える形式知について
「何を知っているか」
だけでは不十分になっていって
やらないと分からない暗黙知(経験知)によって
「何ができるか」
がより重要視されてくる
そんな時代になるでしょう。

というか
すでにそれはが大事だということは
多くの人が分かっていると思うのですが
定量的な評価指針が無かったり
見える形で証明できていなかったりするから
現状を変えられないのではないでしょうか。
(どうなるか分からない未来に向けて
証明を求めるとしたら滑稽ですが)

それにそもそも
やらないと分からない暗黙知を身に付けさせる
(あえて「教える」とは言いません)
それ自体に抵抗があるようにも見えます。

人にどれだけの価値を提供できるか
人の心をどれだけ動かせるか
そのためにどれだけチャレンジできるか
そのためにどれだけ自身が現状から変われるか

そういうのを学校で身に付けられると良いのですが
それらは数値化して定量的に評価しにくい。
今の学校には
学力を測る物差ししか無いからです。

もちろん学力が無意味とは言いませんが
それは社会から学生に求められる価値のほんの一部に過ぎません。

経団連の新卒採用アンケートなどを見れば分かるように
今や求められるものは定量的に測れない能力が中心です。
(本当は「今や」ではなく、ずっと昔からですが)

人の生活や社会の形態はすでに大きく変わっていて
ここに来てさらに大きく変わっていくとしたら
今のままでは
社会からのニーズを裏切り続けていくことになります。

ただ
大学という巨大な組織で現状から大きく変えるのは
大きなリスクが伴う(ように感じる)でしょうね。
そもそも
どうすべきという正解が無いから。
それに大きな組織特有の「慣性力」もある。

でも
きっとどこかの勇気ある組織が先陣を切ってやるでしょう。
現状がダメなら留まる理由はありません。
たとえリスクがあっても
早くスタートを切れば
それだけ色々なものが見えるので早期に最適化ができます。

学生がどんどんチャレンジして
その中で必要な知識や技術を得ていく
その成果を見ているみんながワクワクするようなことを継続していく
そういうのが理想なんだと思います。

「バカの壁」の養老先生でしたっけ
「論文はスルメだ」って仰っていたの。
本物の「イカ」が大事なんですよね。
現場・現実・現物で勝負ですよ!

というわけで
100年を超える歴史を持つ我が東京電機大学
次の100年に向けて色々試行錯誤して
学生がより大きな価値を身に付けられるよう
いずれ変貌の時がやってくるでしょう。

なんたって
「技術は人なり」
「実学尊重」
という実に本質に迫る看板を掲げてますから。

私の手元でチャレンジしている/していた学生達が
未来に向けてのテストベッドのような役割を果たすことになって
少しでもお役に立てたら最高です。