今回のアメリカ遠征で感じたこと クルマ編

専門が自動車なだけに、どうしてもクルマネタに偏る、というか、クルマに関することばかり気になってしまうのです。その辺はご容赦を。

アメリカは、先進的なところはもちろん、旧来のものを保守的に継続しているところも同居していて、その辺がとても興味深いというか、面白いと思っています。
その辺は、細かいことをいちいち上げるまでも無いと思いますが。

クルマに関しては、地域ごとに傾向が大きく異なっているのが面白いです。
それに比べれば、日本はかなり画一的で地域性はあまり感じられません。

例えば、ネバダ州ではピックアップトラックが多いです。もの凄く多い。
税金が安いからというのは聞いたことがありますが、それにしても多い。
昨年は、ピックアップトラックの巨大化に驚きましたが、今年は巨大化も一息ついた印象がありました。

対して、ハイブリッドやEVは少ないですね。アメリカとは言わず、世界的にEVの代表格であるテスラのクルマは、いるにはいますが、数は少ないです。プリウスも前年区比べれば微増といったところでしょうか。あまり見かけることはありません。
ジープタイプの四駆というか、まさにジープなのですが、これもかなり見かけました。
まぁ、ワイルドな土地柄に相応のクルマが多いということになるでしょうか。雰囲気的なものもあるでしょうが、実用性も求められているでしょうね。

当然ながら、充電ステーションも少ないです。宿の近くのWalmartに充電ステーションがあるのですが、常にガラガラです。
宿に充電設備があるところを見たことがありません。これは、我々が安い宿ばかり利用しているからかもしれませんが。

今回行ったブラックロックデザートは、最も近い地方都市であるファーンリーから100マイル(100km)ほど奥地に行ったところにあるのですが、その区間に充電設備が無いので、実質的にEVが立ち入ることは不可能でしょう。

対して、サンノゼはどうかというと、シリコンバレーという土地柄か、傾向はネバダと全く異なり、セダンタイプが多く、テスラ車もかなり見かけました。
ただし、ボディが損傷したり、バンパーが欠落していたり、リアのガラスがなかったりと、ボロボロなクルマも多いのも面白いです。
これはたぶん、所得格差なんかも原因だったりしそうな気がします。

去年に比べて、全体的にバイクが増えた気がします。
これは、ファーンリーやブラックロックデザート付近に限らず、リノの街中でも感じた事です。リノではカスタムされたハーレーをよく見かけました。
サンノゼには初めて行きましたが、結構バイクがいた気がします。

海外に行くと、クルマの種類はもちろんですが、高速道路の状況なども、その国の状態を知る指針になると思っています。

例えばフリーウェイの巡航速度ですが、アメリカは全体的に速度域が上がっている気がします。また、バーストしたタイヤの破片をあまり見なくなりました。

とまぁ、そんなことを見たりして、これは景気が良くなっているということなのかな?と思ったのですが、どうでしょうか?
でも、ガソリンの価格は、昨年比で3割くらい上がっている気がします。
全体的に経済が復調しながらも、貧富の差が拡大していうということなのかな?

そうそう!現地では、当然ながらレンタカーに乗るのですが、Apple CarPlayは便利ですね。
今まではスマホをナビに使うためにどこにマウントしようかな、なんてのが悩みのタネでしたが、今や全く問題無し。
ただ、時として接続がうまくいかなくて苦戦したりしましたが、こういうのって過渡期には仕方ないことなのでしょうね。

オーストラリアのEV事情

というほど多くを見ているわけではありませんが、今回のツーリングルートで、ざっくり見たレベルでの話です。
忘れちゃう前に記事にしないとね。

メルボルンではテスラを見ました。でも、決して多いとは感じませんでした。
やはりEVと言えばテスラが代表格なのですね。
あとは、中国製のデッカイEVのSUVを1台だけ見ました。
そもそも充電設備を見かけませんでした。

アデレードとダーウィンではEVを見た記憶がありません。
充電設備は言わずもがな。

もちろん、内陸部ではEVは皆無です。
そりゃ充電設備が全くありませんから。

テスラは右ハンドル車の生産をやめてしまったそうなので、オーストラリアでテスラを見ることはますます無くなっていくと思います。
果たしてそこに他のEVが入り込んできて、普及するかどうか…。
個人的にはかなり懐疑的です。
あの大きな国では充電インフラの整備は困難でしょうし。

加えてお国柄というか国民性の問題もあるのではないかな。
これは個人的な見解というか、勘なのですが…

オーストラリアの人は英国からの移民が多いわけですが、彼らは結構経済観念がしっかりしている気がします。
EVの車両価格の半分は電池代なわけですが、使っているといずれはゴミになってしまう。そういうのを受け入れられないのではないかなと思っています。
オーストラリアの人は、結構長い期間クルマを所有する人が多いようですので、10年かそこらで新車価格の半分の費用を払って電池交換するなんてのは受け入れられないでしょう。

あと、ライフスタイルも大いに関係しているでしょう。
何せ、かの国で一番売れているクルマはトヨタのハイラックスです。
ディーゼルターボの四駆で、キャンピングトレーラーをグイグイ引っ張れるヤツが人気なのです。
他にも良く見るのは、同社製のランドクルーザー。
中古車屋さんでも、一番目立つところにに置いてあるクルマのウインドウには「Turbo Dieselだぜ!」とデッカく表示してあったりします。

見かけるクルマの多くは、トレーラーを引っ張るための牽引装置(Tow Bar)が装着されていることが多いです。非常に多い。
これはピックアップトラックだろうが、SUVだろうが、普通のセダンだろうが同様です。
そのクルマを普段使っていて、週末はトレーラーを牽いてキャンプとか、そういうライフスタイルなのでしょうね。
あと、ペトロールステーションでは、荷物を運ぶためのトレーラーがレンタルできたりしますので、普段使いのセダンで、ちょっと大物の荷物を運ぶのも簡単です。

次回オーストラリアに行って、現地人とゆっくり話す機会があったら詳しい事情を聞いてみることにします。

やっぱりそうなったかEV

EUが2035年以降もエンジン搭載車両の販売を容認するそうですね。
まあそうでしょう。

理由は色々あります。
まず一番身近で深刻なのが、ウクライナとロシアの戦争によるエネルギー問題ですね。
EUがロシアから天然ガスをはじめとするエネルギーを輸入しなくなったこと。
EVのための電気は、発電所で得るわけですが、天然ガスをはじめとする化石燃料が無ければ発電量が減ってしまいます。
そこは再生可能な発電方法で…と言いたくなるかも知れませんが、その施設を作るにも大量のエネルギーが要るわけで。

あとは電池やモーターを作るのに必要な、いわゆるレアメタルの問題。
代表的なのはリチウムでしょうけど、これが採掘できるところは限られていますし、精製するための施設も限られている。
その供給が絶たれれば危機的なことになるし、コスト面のリスクもあるでしょう。

電池そのものを製造するためのエネルギー量とか、リサイクルや廃棄物の問題。
大きさや重さの割にあまりエネルギーが入らないので、クルマが大きく重くなっちゃうか、走行距離を伸ばせないととか。
充電に時間がかかるのも問題です。

クルマそのものにも問題はあります。
まずコスト、そして重量。
古くなったときにリセールバリューが確保できなければゴミ箱行きですし、事故を起こしたときの安全性確保(感電とか発火とか)などなど。

他もに問題はあるでしょうし、ひょっとしたら解決済みor解決間近の問題もあるでしょうけど、今の世界情勢にマッチする改善スピードは得られなかったということでしょう。

じゃ、どうすんの?
という話しですが、ここで俄に脚光を浴びているのがe-fuel(イーフューエル)です。
簡単に言うと化学合成された燃料です。

代表的な燃料の分子構造はこんな感じで、簡単に言うと「H」(水素)と「C」(炭素)がくっついているわけです。

Cは大気中の二酸化炭素から持ってきて、Hは再生可能エネルギーで作って、それらをくっつければ燃料になるじゃん!という寸法です。

こうやってできた燃料を燃やしても、Cは大気中に還るだけなので、カーボンフリーだよね、という理屈ですね。

液体燃料は、バッテリーの100倍もエネルギー密度が高いので、乗り物としての効率は上げやすいのです。
軽くてパワーがあれば効率が上がるのは当然です。

F1マシンなどはいずれe-fuelで走るという方向性を打ち出していますし、この燃料は既存のエンジンに使用することもできます。

技術的にはまだ研究中で、製造量とかコストの問題はあるでしょうし、そもそも製造に必要なエネルギーは大丈夫なの?と課題もあるでしょうけど、実現すれば、また今回もEVはエンジンに負けたか…となります。100年前の再現ですね。

まあ今や、EVとエンジンで勝ったの負けたのという話しより、いかに環境を改善していくかということが急務であって、本当の問題はもっと大きな枠で見るべき時なのでしょう。
その「環境」も、地球温暖化とその原因と言われるCO2だけではなく、我々の生きる環境全てというスケールで。
そんなことを考えていると

「戦争なんてやってる場合じゃねぇだろうが!」

と言いたいところですが、当事者にすれば
「環境とか言ってる場合じゃないのだ!」
というところでしょう。
今、ここにある命が掛かってますから。

我々は難しい世界に生きています。
しかし、その難しさに向き合うことによって
そこに意味とか意義が生まれるのだと思います。