結構いい1年でした

今日で3月も終わり
学校は明日から新学期ですね。

夢工房で頑張った1年生も、明日からは2年生。
彼らはコロナ禍の中で1年間頑張ってきて…

いやぁ、凄い成長しましたよ!
毎日彼らのアイデアを聞いたり、図面の確認したりしてるのですが、忙しいのなんの。

彼らはLINEでコンタクトしてきて、Zoomミーティングで報告を受けるのですが、打ってくるテキストにやたらビックリマーク付いてますからね。
勢いがあります。

1年間オンラインばかりになって、当初はどうなることかと思いましたが、驚くほど成長しました。
もちろんまだ物は作っていませんが、1年生とは思えない図面を描けるようになりましたし、何より気持ちが前向きです。

結局、活動に加わった1年生は、合計で16人。
1名も離脱者無しです。
こんなことは過去20年で初めて。

もちろん、そんな彼らを引っ張る上級生も勢いがあるわけで、お互いに相乗効果で良い方向に向かっている気がします。

この調子で行けば、またFormula SAEの新たなトレンドを生み出せそうな気がします。

PBL

最近、というか
ちょっと前から教育界はPBLが大流行。

大流行ってほどではないか。
学校の学びに導入したいけど、なかなか難しいってところなのかな。

PBLとは
Project Based Learningの略で、問題解決型学習ってヤツです。

学生主体で、テーマを決めてやっつけるヤツです。
なにもいわゆる「問題」を解決するばかりでなく
チームで主体的に工夫しながら目標を達成するというようなイメージで良いと思います。
工科系の大学などなら、ものづくりがテーマになることが多いですね。
皆で工夫しながら何か作るとか。

何でこれが大事なのかというと
学校での学びは、大抵があらかじめ答えが決まっていて
その正解を導き出すという形ですよね。
基本的な知識の習得という面では、そういうのは大事なのですが
でも、実際に世の中に出てやることって
そもそも答えがないものをどうするか
ということばかり。

開発業務なんかはその最たるものです。
どんな製品をつくったらお客さんが喜ぶかなんて誰にも分からないし、確証はどこにもない。
さらに、「新しい製品」は、世に無いから新しいわけで
誰もやったことが無いことをやるのは当然で
当然ながら、どうしたら良いかを教えられる人はいない。
それを何とかするのが仕事です。

学校でいくら学んでも、結局はこういう壁にぶつかっちゃうので
PBLで学びましょうってなわけです。

まぁそうですよね。
確かにそういうのをやるべきですよ。

で、夢工房でやっているFormula SAEとかCanSatは、まさにPBLなんです。授業ではないですけど。
これらは、ずいぶん昔からあるイベントで、PBLとか言い始める前からあるんだと思いますけどね。
何せFormula SAEは40年も前から、CanSatにしても20年くらいは歴史がある。
それだけ長く続いてきたのは、やはりイベントそのものに魅力があって、その効果が大きいからなのでしょうね。

これらのイベントの威力ったらないです。

だって、Formula SAEの卒業生達は、今やレース界はもちろん、世界中の自動車業界の担い手になっている。

そりゃそうでしょう。
だって、学生のうちから小型のレーシングカーとはいえど、クルマ作ってるんですから。
授業で得る知識だけでは作れませんもの。
それを自ら学んでやってしまう。

それを運用する戦略とかはもちろん、品質とか信頼性とか、人間工学的なものとか、授業では全く教えなかったり、教えたとしても実践への適用の機会がないことができるようになっちゃう。

昔は、1台の新車を作ると2年間はイベントに出られたけど、今はレギュレーションの改定に伴って、毎年新車を作らないといけない。
つまり、学部の在学中に4台もクルマ作ってるわけです。
これで会社に入って使い物にならなかったら、お前一体何してたんだ?ってな話しです。
海外の大会に行けば、本物のレーシングカーの開発者や、メーカーの技術者と話ができて、ヘタすりゃ、そういうプロフェッショナル達に技術を教える人達とも繋がりを持てる。

CanSatにしても同様です。
考えに考え抜いた惑星探査機を作って、厳しい審査を通過して、ネバダ州の砂漠まで持って行ってロケットで打ち上げ!
その後は英語でプレゼンテーション。
経験者はJAXAを含む航空宇宙産業で働くケースも結構あります。NASAで仕事している経験者もいたのではなかったかな?
夢工房の卒業生も、飛行機関係の仕事をしたり、某社で本物のロケットの設計をしてたりします。

これらの活動を経験して、何も自動車業界とか航空宇宙業界に行くことが全てでは無いのです。
その他の業界でも、みんな元気に良い仕事してます。
きっと、こういう活動していく中で、「やれば何とかなる!」って気付くんでしょうね。

さて、この手のPBLですが
教える方はどうしたら良いのでしょうね?
これが教育界の抱えている問題なのだと思います。

というのも先日、工業教育についての集まりで、お呼ばれで講演させてもらったのですが、やはり皆さん、その点の問題を抱えてらっしゃることが分かりました。

私なんぞが、そういうエキスパートの皆さんにお話しさせてもらうなんて、おこがましい感じなのですが、そこで分かったのは、こういうのって教えようとすればするほどうまくいかなくなるってことです。

「先生」なんだから、「教えなければいけない」ってやっちゃう気持ちは分かります。
でも、そうすると身も蓋も無くなっちゃうんじゃないでしょうか。

だって、教えたらゴールが定まっちゃうでしょ。
答えが決まっちゃう。
そもそも、その答えを作り出すのが学生達の役目なのに。

恐らく、お題目を先生が決めた時点で破綻しちゃってるんじゃないかな。
何をしたいかは、やる本人が考えて、自身の口から出ないと意味が無いと思うんですよ。
そうしないと、ゴールに到達するパワーは生まれてこないでしょ。
「どうしてもやりたいんだ!」ってならないとね。
人から与えられたものでは限度がありますよ。

というわけで
Formula SAEやりたい!
CanSatやりたい!
という学生は偉いなぁ。
というお話でした。

あれ?違った?

他にも
「先生!オレ、これやってみたい!」
という学生が次々に現れると盛り上がるだろうなぁ。
色んな意味で今がチャンスなんですけどね。

ヒーロー達

たまにふと思い出すことがあります。
子供の頃のヒーロー達。

なぜか仮面ライダーとかウルトラマンとかではありませんでした。

イーブル・ニーブル((Evel Knievel)
イーベル・クニーベルって感じの発音が本当なのかな。
テレビでは、イーブル・クニーブルって紹介されていたはず。

伝説的なアメリカのスタントライダーで、たまにテレビでこの人のチャレンジをやってたんですが、何だかよく分からないながらも食い入るように見ていたのはハッキリ覚えています。

何台も車を並べた上をジャンプ台を使って飛び越えるとかのスタントが有名です。
今でも記憶に残っているのはどこかの峡谷を飛び越えるってヤツです。
ずっとそれはグランドキャニオンだと思っていたのですが、ちょっと調べてみたところ、どうやら違ったようです。

その頃の私は小学生。
車やバイクが好きで好きでしょうがない…ということはありませんでした。

恐らく同じ頃
やはりテレビでレースを見てました。
富士スピードウェイのF2だったのかな。

カッコいいなと思ってたのは、星野一義さん。
マシンもカッコよかったけど、レース運びが印象に残ってます。
たまたま見ていたレースがそうだったのかもしれないけど、ドライのレースだと、惜しいところで2位とかが多かった気がします。でも、雨のレースがめっぽう強い。
あれはカッコよかったなぁ。

そんなふうにたまにレースをテレビで見ていても、やっぱり車やバイクが好きだという自覚は無かったですね。全く。
サーキットで本物を見たいとも思わなかった。

あ、でも、レンタルのポケバイは夢中になって乗っていましたね。
スネを路面にこすりつけて血まみれになっても、全く痛みを感じなかったくらい楽しかった。
ただ、自分からポケバイに乗りたかったわけではなく、どうしても乗りたいと言っていた弟の付き合いで乗ったら楽しかったのです。

この辺までが小学生の頃。
中学では大して乗りものには興味が無かった…のかなぁ。
記憶には残っていないので、きっと夢中にはなっていませんね。

高校生になってからは、自分で原付を手に入れて乗ったり、たまに友達にデカいのを借りて乗ったり。
この辺でバイクが好きだという自覚が出てきました。

大学に行ったら、スクーターレースから始まって、当時やっていたTTF1というカテゴリーのバイクのレースのメカニックをやったり、少しずつのめり込んでいきます。
世はバイクブームだったので、バイクに乗るのは当たり前、スピード出すのは当たり前、その流れでレースをやるのも珍しくはないという感じでした。

テレビでも週末にはレース中継を良くやってました。
日曜の深夜には二輪の世界GPを中継してましたね。
GP500はフレディ・スペンサーがカッコよかった…のですが
中継は、500cc、250cc、125ccという順番にやっていて、最も遅い時間帯にやっていたGP125が一番面白かった。
あれ?逆の順番だったかな?
とにかく125は、ストレートから第1コーナーに4,5台が横並びになったまま突っ込んで、その後も頻繁に抜きつ抜かれつ。最高にスリリングでした。
その時のヒーローは上田昇さん。
日本GPの鈴鹿で、ワイルドカードで出場して、1位ですからね。
その後は世界GPにフル参戦して勝ちまくり。

当時は、まさかこんな人と知り合いになって、一緒に仕事ができるとは思ってもみませんでした。
今は上田さんのチームとジョイントして、鈴鹿8時間耐久で学生達がお世話になっています。

その後はF1ブームがやってきます。ターボF1の時代です。
やっぱりアイルトン・セナですよね。
当時の私はホンダの車を設計してたので、勝ってくれると嬉しかったなぁ。
ホンダが優勝すると、職場では紅白饅頭が配られたりしてましたね。
社員食堂には、巨大な横断幕が貼られたりしてね。

で、その頃のホンダF1チームの広報をやられていたのが小倉茂徳さん。
テレビの中継でもおなじみのレースジャーナリストです。
単なるジャーナリストではなく、元が本物のF1の広報マンなので、当時のF1界の大物は友達ですから、単に「知っているだけの人」とは話のレベルが根本的に違う。

実はこの人が日本にFormula SAEを紹介した張本人なのです。
一緒にアメリカやオーストラリアの大会に行って、色々勉強させてもらったり、凄い人を紹介してもらったり。
これも、「まさかこんな人と一緒に…」というケース。
いやぁ、本当に運に恵まれていると思います。

そして大学に来てからのお師匠様が、1960年代ホンダF1の車体設計者、佐野彰一先生です。
さらに、卒表生がホンダF1の設計者になり、その彼のボス、F1の車体設計のチーフが以前仕事でお世話になった方だったりして。

いやー、世の中狭いというか、面白いですね。

誰しも幼少の頃のヒーローがいるのではないかと思います。
それが仮面ライダーとかウルトラマンじゃなければ、こんな風に人生の所々に何かしらの接点のようなものができてくるものなのかな、と思ってます。
途中で諦めなければ。

そう思う反面
もし、もっとのめり込んでいたら果たして何が起きたんだろう?
とも思います。

ま、レースも人生も「~たら」「~れば」無いのですけどね。