できないことなんてない

言いすぎかも知れませんが
あながちそうとも言い切れません。

大学で学生と接していると思います。

技術や知識が何かをできるようにしているわけじゃないのだなぁって。

だってね
どんなに勉強ができたって
何か作れる
何かができる
とは限らないんですよ。

授業で成績優秀な学生に
「何か作ってみ」
と言っても
できるとは限りません。
成績が悪い子でも同様ですけど。

私も工科系の大学を出てますが
授業を受けてるときに思いました。

「この勉強で、自分の好きなクルマとかバイク作れるようになるんかなぁ?」

それは卒業まで確信に変わることはありませんでした。

もちろん授業の内容が全く役に立たなかった
ということではないですよ。

でも、いける気がしないままでした。
これで何かができるようになるとは思えなかったのです。

なので、在学中はレースばっかりやってました。
もしくは、江ノ島の堤防で昼寝してるか、バイトしてるか。

そんな話じゃタイトルと違うじゃないか!

そうですね。
本題はここからです。

冒頭の方で

どんなに勉強ができたって
何か作れる
何かができる
とは限らないんですよ。

と言いました。
これは事実だと思いますが

勉強ができるできないに関わらず
やりたいと思ったことは結構できるもんだ

ということが言いたいのです。

だってね
ろくにモノをつくったことがない学生が
レーシングカーを作れるようになるんですよ。

海外なんて行ったこともないのに
マシンを輸出する手続き取ったり
現地で色々やったり。

勝つためにマシンを作ろうと思ったら
強度計算とか解析とか設計とか実験とか加工とか…
それこそ山ほどできなきゃいけないことがあります。

でも、彼らはそれをやってますからね。
ほとんど自力で学んでいる。

一応、教員として私が面倒を見ていますが
別に授業みたいに
「はーい、これから車の作り方を教えますよー!」
なんてやってませんから。

分からないことを聞かれたら答えることはありますけどね。
燃える学生の背中を押すのが役目です。

なので
初動は学生自ら
です。

恐らく
教員が手取り足取り
アレやれ!コレやれ!
みたいにやってたら、こんなに大変な活動は
これほど長年続かないと思います。

やはり学生自身がやる気にならないとね。

そのパワーの源って、自身の心ですよね。
「やるんだ!」
っていう気持ち。

彼らのやっていることを見ていたら
「あぁ、できないことなんてないんだなぁ」
って思いますよ。
人の心の力って凄いなぁと思います。

あの巨大なギザのピラミッドとか
墳墓としては世界最大級の仁徳天皇陵は
いずれも完成するまでに20年ほどを要したと言われています。

その結果分かったことは

奴隷を使った労働では不可能であった

ということ。
そんな大規模な大事業は
力で無理矢理やらせるようなやり方では
必ず奴隷の反乱が起きて
継続できずに破綻するはずで
自発的な労働であっただろうということです。

自身がが「やる」と決めたら
凄い力が発揮できるということですね。