学びのメンタリティ

クリエイティビティを鍛えるために何かしましょう
というようなお話をしました。

「勉強だけでも大変なのに
さらに何かやるなんて無理だわ。」

「勉強を完璧にできるようになったら
その上にプラスアルファを積むのだ!
(でもボクは勉強を完璧にはできないから
その先のことなんてできないよー or やらないよー)」

というような思考になりがちかもしれませんが
そういうのやめましょう。

まずは
やりたくもないことをやっている
という前提を崩して
「やらされている」感覚から
「やりたいからやるのだ」という感覚に
シフトする必要があります。

やりたくもないことをやっているのに
創造力を働かせて…なんて無理ですから。

そのためには「楽しさ」は重要です。
壁にぶつかっても歩みを止めないために。

楽しいからやる
もしくは
楽しくなるように工夫する
が必要でしょう。

あなたが夢に向かって頑張っても
何かあると
「お前、そんなことも知らねぇのか!/できねぇのか!」

とか言われることがあるかもしれませんね。
でもいいんですよ。

それから調べたりして
「あ!そーなの!?なるほどねー!」
って納得したり
分からなければ
「じゃ、どうすればいいのー?」
って教わったりして
そのときに吸収してもいいじゃないですか。

で、やっていくと
「あ!そうか!」
って時が来ます。
先に理論ばかりを覚えることよりも
むしろこっちが重要な勉強かもしれません。

勉強が完璧になってから次の段階だ!
なんてやらなくていいんですよ。
完璧になる頃にはヨボヨボになって
実践できなくなっちゃいますから。

自動車を学びながらクルマを作ってもいいし
飛行機を学びながら飛行機作ってもいいじゃないですか。
文学を学びながら本書いてもいいですよね。

こういう思考とかやり方で
果たしてうまくいくのか?

いかないかもしれませんね。
どうせ絶対的な保証なんか無いですよ。
必ずリスクがあります。

でも、教科書に載ってる知識一本槍でいったって
それはだれでも知ることができるわけで
それを知ってる人って
すでに世の中にいっぱいいるでしょう。
じゃぁそれも独自性とか優位性は無いですよね。
それを知ってれば飯を食えるなんて保証はどもにもない。
つまりそっちもリスクがある。
さらに言うなら
「知ってる」と「できる」は違う。

だったら好きなこと
好きになれそうなことを
頑張ってやっていれば
その中に発見があったり
それを発展させる
なんてことができる可能性はあります。

他人から(特に学校でとか、権威のある人とかから)
「これは重要だからやれ」
って言われたことは
一見信憑性が高い気がします。
一般論ってのもありますしね。

でもそれは
いつ、誰が、何のために、どのようにやるか
で重要性が変わってきます。

それに
少なくとも受け入れるには
納得する必要があるでしょう。

もしそれが
好きなことじゃなければ
納得していなければ
「重要なこと」(重要だと言われたこと)を
「やらされる」
という感覚になるので
(心の底には「できればやりたくない」がある)
いずれ何かの役に立つ…のかなぁ?
程度になってしまうかもしれません。

としたら
自ら進んで
それを役立てよう
とは思わないでしょう。

でも
好きなことであれば
「自らやる」
となって実践にもつながりやすい。

その中に何か発見があったり
そこから新たな何かを生み出したりが
できるかもしれません。
何よりその「重要なこと」が
最大限に役に立っている実感を得られるでしょうから
次へ次へ、その先へ
ってなりますよね。

それに
そういうふうに自ら経験して得たことは忘れない。
実践知です。

学校では
形式知の伝授がメインで
理論に強い人を育成することに主眼を置いてきました。

でもそもそも
理論って実践のためにあるわけなので
単独では役に立ちません。
勉強が「できる」といったって
実践「できる」わけではないですから。

将来、理論だけの専門家になるんだ!
と言ったところで
現場・現実・現物
を知らない専門家は役に立たないでしょう。
やはり早めに実践する経験を得ておくのは大事です。

実際にやってみるのは
面倒だったり
失敗が怖かったりするかもしれません。
勇気が要りますね。

でもやりましょう。

勇気が必要だからこそ
その「やること」は
「好きなこと」
である必要があるのです。

やってみて
うまくいかなかったとしても
何か失うものはありますか?
あるのかもしれないけど
必ず「経験」が残ります。

やらずに足を止めていたときに
失う時間は
絶対に帰ってこないし
何も残りません。

ホンダを創業者した本田宗一郎さんが
「やってみもせんで何が分かる!」

サントリーを創業者した鳥井信次郎さんが
「やってみなはれ
やらなわからしまへんで」

と言ったのは有名な話ですね。
ここに学びの本質があると思います。

やったら
わかる

長いこと教育の主眼は
「生きるためのツールとしての知識」
を手に入れることだったけど
これからは
「生きるための勇気(心)」
を手に入れることにシフトしていくのでは
ないだろうかと思っています。

技術が発展して誰でも使えるようになって
さらに
知識に容易にアクセスできるようになるのですから
そうならざるを得ないでしょう。

やってみなはれ

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