成長の難しさ

人が成長するって難しいことです。

成長というのは
今の自分から少なからず変わるということです。

人は自然と過去の行動を繰り返します。

今日の自分が生きているのは
昨日から無事に生きてこられたから
ということは
今日も昨日と同じ行動を繰り返せば
生きていける可能性が高い
生物にとっては、生きているというのは
「大成功」
なもんで
無意識にそういう行動をするのだ
という説がありますよね。

動物ならそれでいいでしょうけど
人間の社会はそうはいかなかったりします。
年を取るに従って社会での役割が変わったり
環境が変わったり
はたまた新たにやりたいことが出てきたとか
それにあわせて変わっていく必要があります。

でも無意識に過去と同じ行動を取ってしまう。
無意識レベルでの抵抗ってのは手強いです。
何せ意識できないから。

でも全く打つ手がないかというと
そんなことはなくて
意識的に行動して
それを繰り返す

するといつか無意識で行動できるようになる
これは「癖」を意図的につくるということですね。

では、外力で
つまり他人が強制したらどうなのでしょう

ある程度は意図したとおりになるかもしれないし
ある程度は習慣化できるでしょう

その過程で意識上の抵抗がなくなれば
うまくいくかもしれません。
いわゆる腑に落ちるとか。

でも
大抵は途中で嫌になるでしょうね。
自分は一体何やってんだ
と我に返る。

何より問題なのは
自分で考えて決めることができなくなる
ということ。
知能とかなんとかというより
勇気が亡くなってしまう
これは大問題。

レースやってると
サーキットで色んな人に出会います

英才教育の子供ライダーなんかは
分かりやすい例かな。

パパがメカで監督で
子供を一所懸命速いライダーにしたがってる。

でも、子供の心のどこかに抵抗感があって
やらされている状態だと行き詰まります。
伸び悩みを自力で打破できない。
余計なことしたら怒られるし。

でも
目を輝かせて嬉々として乗ってる子は
壁に当たってもなんとか自力で
乗り越えようとします。

いろいろ挑戦して失敗して
納得いくまでやろうとします。

親は子供に教育できない
と言う話を聞くことがあります。

子供に希望を託すのは良いけど
必要以上に子供に
親自身の具体的な好みを押しつけるケース
意外とありそうな気がします。

子供の幸せを願っているようで
実は自分の希望を叶えたがっているだけ
とか。

子供に失敗させたくない
と、いろいろやって
いろいろ考えてあげちゃう。

結果
自発性がなくて
失敗したくなくて
トライできない人になる。
それって成長できないってことじゃないですか。

失敗を恐れない馬鹿野郎に改造してあげたいけど
しょせん外力ではどうにもならない。

こういうって
多かれ少なかれ
昔からあったことだとは思うのですが

でも、エキサイティングな活動に関わることで
そういった呪縛から逃れて
その先の世界に行けたら
ハッピーですね。

まぁ、お手伝いしかできませんけど。